手束仁の都立片倉高校野球部岐阜県遠征同行日記 ~第一日目~
宿泊先に到着した片倉高校野球部
第一日目:8月2日(金)
朝6時に八王子市の片倉高校出発という日程で始まる岐阜県遠征。今回、ボクもその2泊3日の遠征試合合宿に同行させていただくこととなった。
5時半頃から、選手たちは三々五々集まってきていた。親の車や自転車など、それぞれの手段で、早朝集合にとにかく間に合わせようという気持ちである。つまり、この遠征はここからスタートするのである。
誰一人遅刻者がなく、マネージャーの点呼確認もスムーズで、まずは上々の出発だった。
間にドライブインで、20分の休憩を入れて、岐阜県中津川市へ向かったが、10時半過ぎには[stadium]中津川公園夜明け前スタジアム[/stadium]に到着した。 夜明け前スタジアムという名称は、中津川市が合併などによって市に昇格した際に、「子どもたちに夢を与えられるような新しい野球場の名称」として公募された。市民などから181通の応募があり、その中から、文豪島崎藤村の出身地である馬篭町も近いということもあって、藤村の代表作『夜明け前』から命名されたものである。これが、当初の目的の意図を反映しているのかどうかはともかく、こうして「夜明け前スタジアム」という名称が決まったのである。
片倉の選手たちは、夜明け前とは言わないまでも、夜明け頃から準備して、この地へ向かってきたのである。
夜明け前スタジアム 試合風景
中津商 001 101 100=4
片倉 000 000 030=3
片倉 000 000 104=5
中津商 001 001 000=2
中津商は、夏の大会のメンバーが大半残っているだけに、この時期ではあるがチームとしての完成度は高い。投手の片田君も夏も背番号1をつけて投げていたという。ただ、そんなに連打を浴びるというタイプではないが、夏は四球でリズムを崩してしまっていただけに、投球のリズムを崩さないということが課題だったという。
そんな片田君に対して、片倉打線は7回までは5番石井君以外はなかなか捉えきれていなかった。やっと8回に、一死から安打を集中し、4番の長島君の左中間二塁打や、この日は当たっている石井君も左中間へ持っていって1点差とした。
そして、片倉の投手としては宮本監督が、「この遠征で何とか投げられるという目処をつけたいと思っている」という1年生の矢ケ崎君が、4回途中から粘りの投球をしていた左腕の馬場君が登板。8、9回はストレートも伸びがよく決まり、ピシャリと抑えて宮本監督の期待に応えた。
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試合そのものは、1試合目は中津商が逃げ切り、チームとしての完成度の高さを示した。しかし、次の試合では片倉が9回に相手投手の死四球から逆転。両チームともに、改めて四死球が試合の流れを変えてしまうということを実感したのではないだろうか。
試合を終えるとすぐに、宿舎としている岐阜市の[stadium]長良川スポーツセミナーハウス[/stadium]に向かった。中津川公園からは、バスで1時間半近くかかった。「岐阜県は広いなぁ」と思わされた。
18時過ぎに宿泊地に到着すると、荷物をおろして入口ロビーで、すぐに入室のオリエンテーリングだ。夕食の予定時刻が19時ということなので、とにかく慌ただしい。施設のルールを説明されると、各自が割り当てられた部屋へ行き、すぐに食事に向かう。部屋は1部屋に6~7人となっている。時間の都合で、入浴は食事の後ということになった。他のスポーツ団体も多く宿泊していて、岐阜県中学野球選抜チームや新体操のチーム、さらには掛川少年サッカーチームに近大新宮野球部に女子バスケットの強豪倉敷翠松もいたりして、ごった返している。
そんな食事を終えると、入浴タイムとなり、9時15分からロビー脇でミーティング、そして10時消灯と長くて慌ただしい一日が過ぎていった。
(文・写真=手束仁)