日本大学第三高等学校 鈴木貴弘選手
第87回 日本大学第三高等学校 鈴木貴弘選手2011年12月31日
2011年、夏の甲子園で優勝した日大三の正捕手・鈴木貴弘。エース・吉永健太郎の女房役をつとめ、ガッツあるプレーでチームを盛り立てた姿はまだ記憶に新しい。
今回は、そんな鈴木選手に、勝ち続けるチーム力の秘訣を教えてもらいました。
現状を変えようとしたチームの勇気
ガッツあるプレーで魅せ続けた鈴木貴弘
――鈴木選手の代の日大三は、新チームが始まって、秋季東京大会、神宮大会、そして翌春のセンバツ準決勝まで負け知らずでした。この夏の甲子園で優勝した時と、同じくらい、秋からまとまったチームだったのでしょうか?
鈴木貴弘選手(以下「鈴木」) 自分たちの代は、仲が良かったので初めからまとまっていたとは思うんですけど、そこから夏の大会に向けてさらにまとまっていきました。仲は良いけど、練習中にみんなで言い合ったり、普段から寮でも話し合ったりしていたので、そういったメリハリがすごくあるチームだったと思います。
――逆に鈴木選手が感じる“勝ち続けることができないチーム”とは、どんな状態のチームなのでしょうか?
「鈴木」 自分勝手な選手が多いことですね。自分は練習することが一番大切だと思っていますが、それをやっていない選手が多かったり、そんな仲間を注意できない選手がいたり。だからこそ、一人ひとりが自分で何をすればいいのか分かっているチームは、強いですよね。
――夏に向けてチーム力がさらに上がっていったというお話しがありましたが、その原動力となったのは?
「鈴木」 今春のセンバツの準決勝で、九州国際大付に負けてからですね。自分たちの実力を発揮できずに負けてしまいました。宿舎に帰ってから、悔しくてみんな泣いてたんですよ。その負けた悔しさが、「最後の夏を迎えたときに同じ思いをしたくないな」って気持ちになって、チームがまた変わっていきました。あの春の負けは、僕らにとってすごく大きな経験でした。
――センバツから帰ってきたあとのチームは、具体的にどう変化していったのでしょうか?
「鈴木」 野球に対する意識自体が、みんなすごく変わったんです。冬の強化合宿でも、精神的に鍛えるメニューで強くなれたんですけど、それ以上の意識で、練習中でも30メートルのダッシュなら、40メートルまで走ったり。ダッシュの距離を伸ばしただけで、試合に勝てるとは思っていなかったけど、それでも「何かを変えて、やらなきゃいけない」という気持ちでみんなでやってました。
あとは、練習中に監督さんに「こういう練習をやりたいです」っていうのを今までは言えなかったんですけど、「マシンじゃなくてピッチャーの球を打ちたいです」とか、こういうのをやりたいっていう自分たちの意見を監督さんに言えるようになって、監督さんも実際にそれを練習に取り入れてくれました。
甲子園と言う前にやるべきことがある
――鈴木選手自身は、夏に向けてどんなことを意識して練習に取り組んでいたのですか?
「鈴木」 これは新チームになってからずっと取り組んできたことでもあったんですけど、入学してからずっと、周りのメンバーがバッティングがいいので、自分はバッティングよりも守備を重視してきました。だけど、試合に出ているうちに「やっぱり自分だけ打てないのは嫌だな」って感じ始めて、「何でこんなに打てないんだろうな…」っていうのは悩みましたね。
だけど、落ち込んでいる時は、いつも監督さんが寮で一言声を掛けてくれるんです。そういうことで、もっと練習しようって思うことができたり、「調子どうだ?」って話しかけてもらえると嬉しくて。冬の合宿中にも、バットを振っている時に「あんだけ振れるんだから、絶対打てる」と言ってくれたことはずっと心に残っていましたね。
――キャッチャーとしては意識して取り組んだことはありますか?
「鈴木」 技術の面では、ピッチャーの低めの変化球やワンバンの球をしっかり取るっていうことを強く意識して練習を繰り返していました。
2年生のセンバツの決勝の興南戦で、ランナー一塁の時に横にボールをはじいて二塁に進めて、そのあとヒットで1点を取られてしまったので、ランナーをパスボールで進めるというのはどれだけ痛いことなのかを実感したので。
パスボールをなくすための練習法としては、ボールを使わずに捕球の形を作っていく。これがかなり大変でした。ワンバンの姿勢を繰り返し作るという練習を30回やったり、他にもボールを止めに行って、塁を刺す練習もしました。三木コーチや白窪コーチに鍛えられたおかげで、吉永の変化球もしっかりと止められるようになりました。
――鈴木選手自身も守備、打撃ともに磨きをかけて臨んだ夏の西東京大会。仲間たちとは、どんなことを話して最後の大会を迎えたのでしょうか?
「鈴木」 夏は、甲子園が決まるまでは「甲子園に出たい」ということはみんな言わないようにしていました。甲子園って言う前にもっとやるべきことがあるだろう?っていうみんなの考えで、一切言わなかったんです。
――その西東京大会では、圧倒的な強さで決勝まで勝ち上がりましたね。決勝で早稲田実に2対1で勝利し、甲子園への切符を手に入れました。春のセンバツの悔しさをバネにした夏は、吉永投手への采配で工夫したことはどんなことですか?
「鈴木」 ボール球をあまり使わず、内側に決めて打たせて取るような流れにしたことですね。極力、真っ直ぐを意識していました。
あとは、連戦でスタミナ回復のために、吉永と同じ部屋だったので、試合の前は吉永に先にお風呂に入らせたりとか、布団を敷いてあげたりしてましたね(笑)実際、この夏の甲子園は、アイツが一番頑張ってくれたと思っています。
「練習は嘘をつかない」を信じた高校3年間
“大学でも周りから信頼される選手になりたい”
――甲子園で優勝を決めた瞬間は、どんな気持ちだったのでしょうか?
「鈴木」 甲子園で優勝するっていうのは小さい頃からの夢だったので、嬉しいという気持ちが大きくて、最初は実感がなかったんです。最後の打者が三振で終わった時に、「これで優勝なのかな?」って。
次の日も甲子園で朝から練習をして、まだ試合があるんじゃないかな?って感覚で、終わってしまった寂しさもなかった。だけど、宿舎に帰ってきたら、記者の方やカメラマンがたくさんいて、あんなにフラッシュを浴びながら歩いたのは初めてで、帰ってからも色んな方に「優勝おめでとう」って言われて、やっと「優勝したんだな」って気持ちになりました。
――優勝して改めて、日大三野球部で得たものは何だと思いますか?
「鈴木」 とにかく練習してきて良かったなって思いました。「練習は嘘をつかない」って監督さんがよく言うんですけど、その通りだなって。だから、これからも練習しようって思うし、練習の大切さを改めて実感することが出来ました。
――最後に、鈴木選手は大学へ進学予定ですが、次の舞台ではどんな野球選手になっていきたいと考えていますか?
「鈴木」 レギュラーを目指すというのは当然の目標で、あとは周りに信頼される選手になること。キャッチャーって野球だけじゃなくて、私生活でもきちんと信頼されていれば、「あいつがミスするならしょうがない」ってなると思うので、そうやって野球でも私生活でも信頼してもらえる選手になりたいですね。キャッチャーはそういうのが重要なのかなと思います。
また、これからの練習では、日大三のあの冬合宿よりも辛い練習はそうそう無いと思うので、あの冬合宿を乗り越えられたから、この練習も乗り越えられるって気持ちでやりたいですね。
結果が出ずに落ち込んだ時。心が折れそうな時。鈴木選手はそんな時こそ、練習するのだという。「僕は練習することが一番大事だと思っている」シンプルなメッセージであるが、これが鈴木選手の全てを形作っているのだろう。
(文・インタビュー:ドットコム編集部)