記者は今、何を思う?30年以上、高校野球を取材してきた手束仁氏の手記「中止と決まった以上は…」
様々な意見が飛び交う中で中止が決定
新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、スポーツ文化も大きく揺らいできています。待ちに待った春の訪れ、球春これからという中で襲ってきてしまった今回の騒動。プロ野球のオープン戦の無観客試合や、大相撲春場所の無観客開催。そして、プロ野球公式戦、ラグビートップリーグ、Jリーグなどの開催延期、中断などが相次いでいます。
そんな中で、第92回センバツ高校野球の開催か否かが注視されていました。
3月4日に「中止もありうるという前提で、無観客の方向で開催準備を進めていく」ということが発表されました。それから1週間、11日に最終決定をするということになりました。その間も、ネットやSNSを含めてさまざまなメディアで、それぞれ自分の立場で、いろいろな意見が飛び交いました。
「他の高校スポーツ大会がすべて中止なのに、なぜ野球ばかりが…」
「休校が続いているのに、部活動の大会が行われるのはおかしい」
「こんな時だからこそ、何とか高校野球だけでもやってほしい」
「高野連は、どうしてもやめられない何か裏の理由があるのか」
など、憶測も含めた書き込みも多くありました。個人の正論や正義感から、ネット特有の独善的な意見も多く見られました。
結果としては、無観客開催も断念して、開催中止という結論になってしまいました。
もちろんのこういう事態ですから、開催してもしなくても、さまざまな批判や意見は出てくることは否めません。だけど、こうして結論として「中止決定」が発表された以上、メディアの端くれである私のような立場の者からの意見としては一言。
「残念ではあるが、受け止めるしかない」
というのが正直なところです。
まずは今の決定を肯定すること
いずれにしても、この決定に対して賛成もあれば、反対もあるでしょう。そして、起きた現象に対して、「もっと早く、決められなかったのか」などと、非難したりすることで、その意見が正論であるかのような印象を与えかねない昨今です。
私自身の個人的な思いとしては、「無観客でも、開催して欲しかった」というのは正直なところです。そして、主催者側もその可能性を最後まで模索していたのだと思います。ただ、決定側の立場は、外野でワイワイ言っている人たちよりも、その何倍も苦しんで悩んでいるはずです。まさに、苦渋の決断であったと思います。そして、決断に際しては常に勇気と苦悩が交錯すると思います。
それでも、こうした中で、さまざまな意見が集まることは予想されます。そして、そんな意見の中に、身体的には感染していないのに、心が感染してしまったような現象がないことを祈るばかりです。
少なくとも、高校野球を応援してきた人、関わってきた人、伝えてきた人たちは、苦渋の末に導かれた結論を肯定してきましょう。そして、いい方向へ向かうように応援していきましょう。
大好きな高校野球を自分の言葉と思いで伝えられるという立場になって30年余になります。インディペンデントの立場として、辛い思い、哀しい思い、悔しい思いもたくさん味合わされてきました。だけど、今こそ、最も哀しく辛い思いをしています。
だからこそ、陰ながらでも、どんな形であっても、少しでも支えになっていきたいと思っています。
そのためには、まずは、今の決定を肯定することだと思います。
私は、今回、苦渋の中で、日本高校野球連盟と主催者である毎日新聞社も、最大限の可能性を模索しながらも中止という決定を選択したのは、勇気ある決断と発表だったと思います。
今、改めて、平穏に野球ができること、野球を見られることが、どんなに幸せなことだったのかということを実感しています。コロナウイルスを心から憎んでいます。早く、いつもの日本に戻ってほしいと祈っています。
(記事=手束仁)
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