朋優学院vs日大豊山
9回の土壇場でひっくり返した朋優学院、13人のまとまりも見事
力投した小森君(朋優学院)
何とか、夏の東東京大会のシード権を獲得したい両校である。そのためには、この日の試合は大事な試合だ。2000(平成12)年夏には悲願の甲子園初出場も果たしている日大豊山だが、現在はその当時に生まれた選手たちが戦っている。だから、もちろん母校の甲子園出場のリアルタイムでの記憶はない。やや低迷期もあったことも否めない。それでも、一昨年夏の東東京大会では決勝進出を果たしているということもあり、もちろん上位進出は意識しているはずである。
朋優学院は今大会は登録部員13人で戦うという小世帯だ。品川区西大井に学校はあるが、グラウンドもなく、校庭そのものも狭く、どうしても選手も集まりにくく、高校野球部としては厳しい環境である。しかし、昨秋も都大会は1回戦を突破しており、宮原 正幸監督が毎年好チームを作り上げてくるということでは定評がある。
そんな両チームの試合は、いきなり初回の攻防で動き始めた。
まず朋優学院が先頭の松永 龍介君の安打と2四球などで二死満塁として、6番堀 泰貴君の右前打と、後逸もあって3点が入る。しかし、その裏に日大豊山も一死から青木 尚大君の左越二塁打と続く西村 達貴君の左越三塁打に5番和地 新太君の左前打などでたちまち1点差とした。さらに日大豊山は3回には一死一塁に安打の西村君を置いて、和地君が左越二塁打して帰して、試合は振り出しに戻った。
日大豊山の福島 直也監督は、3回途中で先発の美濃部道仁君を諦め、二番手として名倉 侑田君を送り出していた。4回には、朋優学院が松永君のタイムリー打で、日大豊山は9番に入っていた投手の名倉君のタイムリー打で、お互いに1点ずつを取り合った。しかし、以降は、小森君と名倉君の投げ合いとなった。序盤の点取り合いから一転して、5回以降はお互いに0が並ぶ展開となっていた。
日大豊山は8回から福島監督は、三人目としてエースナンバーをつけた2年左腕坂井 柚介君を投入。やや、膠着しかかった流れを変えにかかった。
すると、それに応えたかのように、その裏、日大豊山は7番齋藤 響君が左翼スタンドへ放り込むソロホームランを放って、この試合初めてリードを奪う。よく、競り合った試合では8回裏の1点は、何点もの重みがあるとも言われる。そんな一発になったかと思われた。
ところが、朋優学院はそれを覆した。
本塁打を放った齋藤響君(日大豊山)
二死一塁となり、あと一人で試合終了という場面だったが、ここから粘る。3番湯澤 頑太朗君が左前打でつなぐと、4番中村 克樹君は粘って四球で満塁となる。日大豊山はタイムをとって時間を空けるが、バッテリーとしては、あと一人でもあり、ここは落ち着いていきたいところであった。
しかし、押し出しも怖いところでストライクを取りに来た初球、近田君は迷わずスイングして、走者一掃となる中越二塁打。一気に逆転して、朋優学院が逆に2点リードとなった。
試合の流れの転換としては、8回に本塁打を浴びた後に、失策も出たが、小森君は崩れることなく冷静に投球できたことが大きい。ことに、青木君のセーフティーを狙ったバントを素早くマウンドを降りて処理して、一塁部屋のような送球で投ゴロとしたプレーは、気持ちも入っていた。これで、9回の反撃に切り替えられた流れを呼び込んだともいえるであろう。
「冬の間、よく走って鍛えていました。練習が休みの日も、自分で学校へ来て筋トレをやるなど、積極的に取り組んできた成果だと思います。冬のトレーニングで頑張ったことで、身体だけではなく、精神的な面も強くなっていったのではないかという気がします。それが、出せたのだと思います」と、宮原 正幸監督は、恵まれない環境の中でも、選手たちが前向きに積極的に取り組んでいった成果を誇らしげに評価していた。
そんな朋優学院だが、スタンドには初々しい新入生たちが先輩たちのひたむきなプレーを応援していた。「今年は、14~5人入ってきそうなので、少なくとも新チームも合同チームにはならなくてすみますよ」と、苦笑していたが、この日の試合ぶりを見て、新入生たちも「いいチームに入れる」と、意識は高まっていったではないだろうか。
今大会は、ブロック予選から勝ち上がってきた日大豊山。取られても、すぐに追いつく粘りを見せて、継投で巧みにかわして、8回に突き放すといういい形になりながらも、最後に抑えきれなかった。
(取材・写真=手束仁)
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