済美vs広陵
甲子園を沸かせた、安楽智大の投球
知り合いのスカウトは「選抜ではまだ前の席で見ていない」と言う。前の席とは主催者から用意されているスカウト席のことで、前方に設置されている。ドラフトで指名するような投手が登板するときは近くで見ることができるスカウト席で見、そうでないときは全体を俯瞰できる後方の一般席で見るというのがスカウトの一般的な態度のようだ。
そのスカウト氏は「明日は前の席で見ますよ」と言った。その明日が、この済美対広陵戦である。済美・安楽智大(2年)、広島広陵・下石涼太の投手戦で、とくに注目したのが安楽だ。大会前の練習試合で脇腹に死球を受け、調子は必ずしもよくないと聞いていてが、まったく問題なかった。
数字的なことから紹介しよう。この日記録したストレートの最速は152キロ。1、2年生が選抜大会で150キロを超えたのは今までにいないと聞いていたので史上初の快挙である。投球フォームは粗っぽく見える。腕の振りが体から離れ、さらに左肩が上がっているので力まかせに投げている印象を与えるのだ。しかし、左肩の早い開きがなく、リリースでボールを押さえ込む術も心得ている。奔放な部分は残しながら肝心のツボは押さえていると言っていいだろう。
走者を一塁に置いたときのクイックは1.06~1.13秒と速い。盗塁を4個決められているが、これは捕手との連係プレーなので安楽ばかりを責められない。一塁けん制、二塁けん制も素早く、投げるだけの投手でないことは確かなようだ。
何人かのスカウトに会うたびに「凄いですね」と振ると、皆満面の笑みで「やっと凄いのが出てきましたね」「破格ですね」と興奮気味。好素材を探すスカウトにとって、1年後であろうとドラフト1位で指名できるような選手と出会うことは喜びなのだ。
スピードへの意欲は高い。思い切り腕を振れば最速152キロが出るが、ボールは高目に浮きがちである。しかし、力7、8分で投げると球速は142~144キロに減速するが、リリースでしっかりボールを押さえ込むことができ、ボールは腕の振りより一瞬遅れて出てき低めによく伸びる。このストレートが一級品である。
変化球は資料にはスライダー、カーブ、シンカー、ナックルがあると紹介されているが、スライダーとカーブ以外はそれだとわからなかった。この分野はこれからの課題と言っていいだろう。
広島広陵打線は素晴らしかった。安楽のような本格派にはタイミングの取り方が早くなるのが普通だが、1番下石涼太、3番坂田一平、4番太田創、6番林拓真(2年)を筆頭にゆったりタイミングを取る選手が多かった。
ゲームの展開を見て行こう。先制したのは済美。6回裏、四球(二盗)、振り逃げで無死一、三塁のチャンスで打席に立つのは4番安楽智大。
[1]内角高めストレート(空振り)、[2]真ん中ストレート(空振り)、[3]外角低め変化球(ボール)、[4]外角低め変化球(ボール)、[5]外角低めストレート(ボール)
この配球で3ボール2ストライクになり、6球目の内角ストレートをライトフェンスを直撃する二塁打を放つのだが、カギは1、2球目の空振りにあったと思う。フルスイングされたことにより広島広陵バッテリーは内角に投げることへの恐怖心が湧いた。3球目以降外角一辺倒の配球が続いていくのだが、今度はカウントが悪くなり、外角を狙われるのではという猜疑心が湧いた。その迷いが6球目の内角ストレートにつながっていく。
試合は3点目を奪った済美に対して広陵が9回に同点に追いつきスリリングな展開になるが、私の中では安楽のピッチングと6回の攻防が強く心に残った。内野安打で済美のサヨナラ勝ちが決まると、第二記者席の記者やライターの表情は熱っぽく、通路ですれ違うスカウトの面々も満ち足りた様子だった。
(文=小関順二)