徳島インディゴソックスから特別合格となり、入団に向けて準備を進めている150キロ右腕・吉村 優投手。早稲田実業時代には2年生の夏に甲子園ベスト4進出。エースで臨んだ最後の夏は西東京大会でベスト8に終わったが、軟式出身から名門校の背番号1をつけるまで成長を遂げた。
今回はその後、早稲田大入学後から挑戦したアメリカンフットボールでの4年間の日々と徳島インディゴソックスへの入団への思いを聞かせてもらった。
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徹底して取り組んだ自己分析と日誌

徳島インディゴソックスからNPB入りを目指す吉村優
早稲田実業のエースで全国制覇する、という目標は達成できなかったが、「やり切った」と達成感に満たされた吉村は、大学では違うものに情熱を注ぐ。それが早稲田大の米式蹴球部、アメリカンフットボールだった。
「友人も多く、日本一に最も近いところだった」という理由から、初心者・吉村はアメフット界に飛び込むが、大きな壁にぶつかった。
野球で鍛えた地肩の強さを活かしてボールそのものは速かったが、コントールは全くダメで、思い通りに投げることができなかった。これまでの人生は、時間をかけて量をこなせば結果を残してきたが、一向に試合に出られない。
薄々感じていた。「これはうまくいく感じではない。これまでの方法ではダメだ」と。
そこで目標の立て方を1日ごとに設定するように細分化した。
「日誌をつけるようになりましたが、前日までに3つ書いていました。
・前日までに翌日スケジュールを書く。
・やるべきことを4つくらい書く。
・その日のテーマを書く。
こうすることで、イメージを持って寝られるので、モチベーションが変わります。そのうえで翌日に、
・1日の動き方はどうだったのか
・技術(定量)、人間(定性)としてできたこととできなかったこと。できなかったことの改善
・1日の総括
の3つを書くことを繰り返しました」
八王子ボーイズ時代に出会った河合コーチ、さらに趣味の読書を通じて学んだことを実践したことで、「正しい方向への努力、アプローチの術を学んだ」と手ごたえを感じる成長スピードで進む。
また自己分析を明確にやるようにした。
「自分から見た自分、周りから見た自分に違いがあるから失敗していたと思う。客観的に見るためにも、自分はチームの中ではどんな立ち位置にいるのか、上手いチームメイトに勝つにはどうすればいいのかなど、日誌で振り返るのは、大きかったです」
もちろん、これまでの人生でも経験してきた、「目標がブレないこと」を忘れず、ひたむきに努力を重ね、3年生の時は走力も使えるクオーターバックとしてレギュラーの座を奪取。その年の全国大会では決勝進出を果たす。その舞台は奇しくも甲子園球場だった。
「大学4年間のなかの思い出の1つですね。早稲田実業時代はベンチでしたので、グラウンドに立った時は全然違いました。ただ『こういうことをするんだ』と明確なイメージを持っていたので、緊張するどころか、ワクワクした気持ちでプレーできました」
得点シーンについても「自分のこれまでの人生を象徴するようなタッチダウンでした」と、感慨深く振り返った。これまで数多くの方々に支えられて成長してきたからこそ、人生を象徴するものであり、同時に恩返しともいえるタッチダウンだったともいえる。