目次

[1]重圧との闘い
[2]プロのために大学進学を決断

 近江の正捕手として甲子園に3度出場した有馬 諒。関大では今秋から正捕手に定着し、打率.370の活躍で自身初のベストナインに輝いた。2年後のドラフト候補として注目を集めている有馬の高校から大学進学の道を振り返ってもらった。


重圧との闘い


 最上級生となってからは主将に就任。「元々バッテリーだけで良かったところがチーム全体となったので、そこに関しては大変さも増えました」と責任が重くなったが、他のメンバーのサポートもあり、苦労は少なかったという。

 当時の近江は林や1学年下の土田 龍空(中日)など、個性的な選手が多く集まっていた。彼らをまとめる難しさもあったが、それがチームの強みでもあったと話す。

「バラバラの個性が良い形でそれぞれ出せていたので、それが自分たちの時には良かったかなと思います。(多賀 章仁監督は)自由にやらせてくれましたし、『思うようにやれ』と言ってくれていたので、本当にノビノビとさせて頂いたと思います」

 秋は近畿大会初戦で敗れてセンバツ大会出場を逃したが、春は16年ぶりに近畿大会で優勝を果たした。優勝候補の大本命として挑んだ夏の滋賀大会は、決勝で光泉(現・光泉カトリック)との大熱戦を繰り広げた末に1対0で勝利。重圧から解放された有馬は試合終了直後に安堵の涙を流していた。当時の心境を次のように振り返ってくれた。

「甲子園に行かないといけないとずっと思っていました。これまでは目標でやっていたんですけど、1回、2回行くとなると、近江が行って当然となるところがあったので、そこからやっと逃れられたなという感じでした」

 3年間の集大成となる夏の甲子園は初戦で東海大相模と対戦。滋賀大会を無失策で勝ち上がった近江だったが、まさかの6失策と守備が乱れて、1対6で敗れた。

「みんな硬かったところがあったのかなと思いますね。自分もミスしてしまったところがありましたし、自分の力を発揮できずにみんな終わってしまった感じがありました」と最後は実力を出し切れずに終わってしまった。それでも、「悔いはなかったですね。甲子園は自分の中では楽しい場所だったので、楽しいまま終われた場所ではありました」と晴れ晴れとして気持ちで甲子園を去った。

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