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11月16日、明治神宮大会準々決勝、国士舘vs白樺学園の一戦は4対3で白樺学園が勝利した。今回は国士舘のエースとして、防御率1.12の好成績を残したエースの中西 健登にインタビュー。今や国士舘に欠かせない大エースへ成長した中西の飛躍までのプロセスを描いた。
投手人生は高校から

中西健登(国士舘)
全国の壁は厚かった。なかなか自分の思い通りのピッチングができない。白樺学園戦を振り返って中西は「振らせようと思った変化球が見極められ、また自分の生命線であるコントロールが良くなく、非常に苦しいピッチングでした」と語る。それでも「シンカーは良いところに決まれば打たれないということが分かっただけでも収穫があったと思います」と手ごたえを感じている。
調布シニア時代は外野手で、投手人生は高校から始まった。永田監督の勧めで投手をはじめ、サイドスローになったのも永田監督の勧めだ。
「監督さんから『お前は腰の回転がサイド気味だから、サイドスローのほうが良い』といわれ、実際に試したら、サイドのほうがしっくりきて、たまに遊びでオーバースローで投げることがあるんですけど、やっぱりしっくりこないので、自分はサイドスローなんだなと思いました」
台頭するのは2年夏の大会後。正捕手の吉田 健吾は中西の成長を感じ取っていった。
「中西はあまり球速は出ないんですけど、伸びを感じるんですよね。だんだんそんな球質になってきました」
そして中指と薬指をひねらせるように投げるシンカーもマスターし、練習試合でも好投。ナインからも信頼を得られ、主将の鎌田 州真は「『中西の負担を軽くしろ』というのがチームの合言葉となり、守備、打撃を磨いていきました」