目次

[1]つなぎ役に徹する事を考えた
[2]1番を打ち、自分の居場所を見つけることができた


 6月17日から大阪桐蔭特集がスタート!17日連続で記事を掲載していきます。大阪大会夏3連覇を狙う大阪桐蔭の選手たち、OBたちを取材し、大阪桐蔭の魅力をたっぷり伝えていきます。今回は1番打者として切り込み隊長を務め、打線に勢いを与え続けた立教大1年生・宮﨑 仁斗選手です。

 史上初二度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭根尾 昂藤原 恭大をはじめとしたプロ入り選手だけではなく、多くの選手に魅力があった。巧打俊足の外野手として優勝に貢献した宮﨑 仁斗はまさにいぶし銀のような選手だった。なぜ宮崎はそんな選手になれたのか。いかにして宮崎は自分の生きる道を見つけたのか。

つなぎ役に徹する事を考えた


 宮崎が野球を始めたのは小学校3年生の時。川西フェニックスでは投手・捕手を兼任。中学では志貴ボーイズに所属し、捕手としてプレーしって全国大会に出場。3番捕手として活躍していた宮崎は「当時は中学生の中でも体は大きかったほうだと思いますし、ホームランも打てて足にも自信がありました」と攻守で活躍を見せていた。 

 宮崎は中学時代の監督が大阪桐蔭出身だったということもあり、大阪桐蔭への進学を決断する。また、中学時代の監督は宮崎にとっても憧れの選手像で、入学時の野球ノートでもその監督のような選手になりたいと綴っている。

大阪桐蔭に入学して驚いたのは先輩野手たちのスピード感だ。
 「多分、この感想は、僕に限らず、どの大阪桐蔭OBたちも言うと思うんですけど、スピード感のある動きを見て、高校生は違うなと感じました。正直超えていけるかなと不安に思いました」

 下級生は最初からAチームのノックに入れるわけではない。雨天練習場での練習や、実戦練習でのランナーを務めることがメインとなる。宮崎は実戦練習がアピールする場所だと考えた。

 「そこで真面目にやって、アピールすることを考えました。ノックだったり、打たせてもらえるので、その場その場でアピールをし続けました。1つずつステップアップして試合に出る事ができるようになったと思います」

 1年夏が終わり、練習試合に出場できるようになったが、その夏の大阪大会で敗れたチームのレギュラーのほとんどが3年生で、1、2年生のみになった時、不動のレギュラーは誰もいなかった。そこで、捕手として入学した宮崎は外野手に挑戦した。

 試合に出るためには何ができるか。それは他の人がやらないつなぎ役に徹することだった。

 「大阪桐蔭は良い選手がいっぱい集まっていて、自分は体がそれほど大きい選手ではなかったですし、長打も打てる選手が多かったので、自分はその人達が気持ち良く打てるよう、つなぎ役に徹しようと考えました。自分の結果ではなく、チームが勝てるための仕事をしようと思いました」

 そして1年秋にベンチ入りを果たす。ひたすらがむしゃらに取り組んでいた宮崎だったが、秋、センバツ、春の大阪府大会で思うような結果を残せず、「高校3年間で、最も苦しい期間だったと思います」とこの時期について振り返る。

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