田中 法彦(菰野2年・投手)「心・技・体」備えた、世代NO1投手へ
センバツは第90回、夏の選手権は第100回大会を迎えるなど、高校野球にとって節目の2018年。加えて新3年生となる世代は2000年生まれが大半を占める、いわゆる「ミレニアム世代」。すべてにおいて記念すべき一年を飾るべく、全国各地で逸材たちが活躍の助走に入ろうとしている。
そこで今回はそのトップレベルプレイヤーたちを徹底インタビュー。小園 海斗(報徳学園・遊撃手)に続き、2人目に登場して戴くのは菰野(三重)の最速150キロ右腕・田中 法彦である。
今回はこれまでの「高校野球ドットコム」インタビューシリーズとは少し視点を変え、本人にこれまでの成長を語ってもらいつつ、菰野・戸田 直光監督も交えた「クロスインタビュー形式」。田中投手のここまでと同時に未来像も解き明かしていく。
兄2人と同じ菰野高校の道へ
田中法彦(菰野)投手
――三重県川越町出身の田中選手。どの時期から野球を始めたのですか?
田中 法彦選投手(以下、田中) 小学校1年生の時から始め、小学校5年から肩の強さを見込まれ、投手になりました。
――町立川越中では硬式・ヤングリーグの三重川越ヤングに所属しています。当時の球速はどれくらいですか?
田中 中学1年生の時が128キロ。3年春には142キロでした。
――142キロという球速も驚きですが、2年余りで10キロ以上もスピードアップしています。いったい、どんなトレーニングをしたのですか?
田中 ランメニュー、サーキットメニューなど俊敏性を鍛えるメニューや体幹メニューを中心に取り組んでいました。体の成長もあって自然と速くなっていました。
――そして、三重県立菰野高校に進学した田中投手。菰野を志望するようになったきっかけを教えてください。
田中 兄2人(長男・大輔さん、次男・和師さん)が菰野高校で野球をやっていましたので、自然と菰野でやりたい気持ちになっていました。
――ここで戸田 秀光監督にお聞きしたいのですが、監督の目から、中学時代の田中投手はどう御覧になられていましたか?
戸田 直光監督(以下、戸田監督) 地元では「怪物」という評判でしたし、中学3年の時には東海地区では根尾 昂(飛騨ボーイズ-大阪桐蔭2年)と同ランクの力はあったと思います。
だだ、根尾くんと比べればノリ(田中)は、中学3年生の4月~8月まで腰の分離症でプレーできなかったのもあり、あまり騒がれない投手でした。
指揮官が太鼓判を押す「2つの成長」
田中法彦投手(菰野)
――菰野高校での公式戦登板は1年秋から。この時はどんなピッチングをしていましたか?
田中 この時から145キロを投げることができたのですが、さきほど監督さんもおっしゃていたように、腰も治りかけだったので、球数制限をかけられていました。
だから、1年秋は2回戦の宇治山田商戦、準決勝の三重三重戦、決勝の三重海星戦の3試合に先発させて頂きましたが、まだ完投はしていませんでした。
――菰野は東海大会では初戦で至学館(愛知)に敗退。田中選手は3番・一塁手で先発も登板はありませんでした。その後は、春までどんなトレーニングをしましたか?
田中 食トレ、スクワットを中心としたトレーニングやウエイトトレーニングを行いました。一冬超えたら、140キロ後半まで出るようになっていました。
――球速が速くなった要因にもつながると思いますが、田中選手が技術的に意識していることはありますか?
田中リリースについては、打者の近くまでギリギリで離すことを意識しています。キャッチボールから「どうすれば回転数が高いボールを投げるのか」を考えながら投げています。
そういう意識でやってきたからこそ、指にかかった速球をどう投げるかは自分自身、つかんでいますので、速いボールを投げることができると思います。
――2年夏の三重大会は自己最速148キロを出すも準決勝で甲子園に出場した津田学園で敗退。振り返ってどうでしたか?
田中(最速148キロを出した)準々決勝(いなべ総合学園戦)までよく投げることができましたが、準決勝まで期間がなく、疲れが取れず試合を迎えてしまいました。
でも相手も条件は同じですし、そこで調整がうまくできなかった自分の甘さが出た試合でした。
「150キロ」の収穫と「県8強敗退」の課題
津田学園戦で先発する田中法彦投手(菰野)
――では、そこを踏まえて新チームではどういうトレーニングをしていましたか?
田中メディシンボールを使ったトレーニングや体幹トレーニングなどひたすら体力強化を行っていました。ピッチングの意識も変わってきました。
戸田監督 ここは指導者からの目線ですが、田中の意識はだいぶ変わってきました。
2年夏までは知り合いの野球関係者から「アップが甘い」と苦言を呈する声もありましたし、投球面も不用意に甘いボールを投げて打たれてしまうことも多かった。しかし、夏は自分のせいで負けたことを自覚しはじめてからか、アップは真剣さが出てきましたし、そして、ピッチングは1球に込める思いはだいぶ変わりました。
――こうして2年秋に突入すると、初戦の三重県大会四日市地区予選2回戦・三重川越相手に最速150キロを出したそうですね。
田中 そうです。菰野のグラウンドで出しました。出たときは、あまり実感がなく、150キロ出たのは良かったと思います。
――続く四日市地区予選3回戦では三重海星を破り、さらに秋の三重県大会で2回戦で夏甲子園出場の津田学園と対戦しました。どんな思いでこの試合を投げましたか?
田中 もうやり返したい思いしかなかったです。調子は絶好調で、力で押すピッチングができましたし、ストレートの走り、変化球の切れもも本当に良かったです。
――津田学園戦は結果、最速150キロを再び出して7回無失点でコールド勝利。しかし準々決勝の三重戦では1対3で敗れてしまいました。
田中エラーが絡んだ失点はありましたが、それでも抑えるのが僕が求められている役割。三重高校さんはその後、東海大会準決勝まで勝ち進んだので「あそこで勝っていれば」と。本当に悔しい負けでした。
「負けない投手」になるために
田中法彦投手(菰野)
――では、秋の三重大会を終えてからは、どんな課題をもって練習に取り組んでいますか?
田中 まずは変化球です。現在使える球種がスライダー、スプリット、カーブですが、秋の練習試合ではカーブを使って緩急が使えるピッチングはできています。
――カーブ以外ではどうでしょうか?
田中 スライダーには自信があるので、磨きをかけているのはスプリットです。
スプリットも2年秋から投げ始めたのですが、浅めに握って投げているので落差はそれほどでもないのですが、138キロは出ます。今年は140キロが出るようになれば、打者はもっと打ちにくくなるのではないかと思っています。
――戸田監督の「田中スプリット」評価はいかがでしょうか?。
戸田監督私自信の考え方は深く握って球速を落として落差を大きくしたほうが良いと思いますが、彼が高いステージでプレーするこしようと思ったら速いスプリットの方が良いかもしれませんね。
――では、戸田監督が田中投手に注文をつけるとすれば、どんなところでしょうか。
戸田監督ピンチになっても、エラーで走者を背負っても抑えられるエースになってほしい。ですので、練習試合でも「無死三塁などランナー三塁に置いてからが勝負。そこを抑えられる投手。三振を取れる投手になれ」といっています。
プロ入りした西 勇輝(オリックス)もランナーを三塁に背負うことは結構ありましたが、必ず抑えてましたから。ただ、ノリも11月の練習試合で、一死三塁のピンチを招きながら連続三振を奪えた。こういう経験を積み重ねていけば、ピンチに強い投手になるはずです。
また、トーナメントでは少し力を抜いて投げてゲームメイクすることが必要な場面が絶対にあります。打たせて取る投球も覚えて、ギアを上げて、140キロ後半、決め球となる変化球で三振を奪う投球ができれば、もっと世界が広がると思いますね。
――そこは大事にしつつ、田中投手が一番こだわっているのはもちろん……。
田中ストレートです。僕は1学年先輩でプロ入りした岡林(飛翔・広島東洋カープ育成1位)さんのように角度で勝負できないので、伸び、切れ、回転数にこだわりたいですし、最後の夏は155キロを出したいです。
――では最後に2018年にかける意気込みを教えてください。
田中誰にも負けない投手になることです。特に同年代の投手には対抗心は持っていますし、絶対に負けたくない。
昨夏チームで甲子園で観戦する機会があったのですが、活躍する2年生を見て、とても悔しい思いをしたことも覚えています。同時にあの舞台に立ちたいと強く思いました。
だから、日本一の投手になっていきたいです。
――力強い意気込みありがとうございます。今年1年の田中投手のピッチングを注目しています!
田中ありがとうございました!
悔しさは時に自分を想像以上に成長させる材料となる。残された甲子園のチャンスはただ一度。「最後の夏」にすべてをかける田中 法彦は、菰野高を甲子園に導き、最速155キロを出す目標の先にある夢実現へ向かって右腕を振る。
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