2月1日、北海道・幕別町から遠く離れた宮崎県で「SoftBank・HAWKS」のユニフォームに身を包み、プロ野球選手としての第一歩を踏み出した福岡ソフトバンクホークスドラフト2位の古谷 優人。昨夏の北北海道大会で最速154キロをたたき出し30イニングで49奪三振。シンデレラストーリーの階段を昇っていった江陵高校出身の左腕である。
では、身長176センチ76キロの彼が、なぜ驚異的な飛躍を見せることができたのか?「幕別の剛腕」が今、成長エピソードについて2回にわたり、すべてを語る。前編では「メンタル」の角度から彼の変化に迫っていく。
師から学んだ「思いやり」の大切さ

古谷 優人投手(江陵高等学校)
「江陵に入学した当時は、自分自身のことしか考えられなかった。生意気な人間でした」温和な口調から発せられた今とは180度違うフレーズ。そう、古谷 優人の地元・江陵高等学校での3年間は「自分を変え続けた」積み重ねであった。
幕別町立札内南小3年生時に、兄の友人との「家族焼肉」で勧められたとこをきっかけに始めた野球。幕別町立札内中でものびのびと野球を楽しんでいた彼は高校入学時に、1つの大きな決断を下す。
「谷本(献悟)監督の話を聞いて、この監督についていきたいと思いました」
毎年5月には東日本大震災被災地での河川清掃ボランティア活動を行うなど、人の心に寄り添う指導で知られる指揮官の考え方は「何かを変えたい」古谷の心と合致した。ただ、その厳格さは彼の想像以上だった。
江陵では入学後すぐにベンチ入りし、5月14日に行われた十勝支部大会では2013年夏の甲子園出場経験を持つ強豪・帯広大谷戦をいきなり完封。さらに3回戦の帯広緑陽戦でも好投。ただ古谷の入学当初の記憶はそこではない。
「あの時、自分は『グラウンド整備は試合に出ない下手な奴がやるものだ』と思っていたんです。僕は春から試合に出させてもらっていたので、試合に出ていない同級生に『グラウンド整備やっておいて』と頼んだことがありました。すると監督がいらっしゃって……」
グラウンド整備の姿勢から見える自分勝手なところがあった古谷を厳しく叱った谷本監督。このエピソードに代表されるように古谷への指導は技術的なことよりも、生活面・姿勢面が大半を占めた。
すると彼の中にはまず「思いやり」が生じる。1年夏、北北海道大会十勝支部予選の広尾戦で途中登板した古谷はこんな思いでマウンドに登った。「3年生が2人しかいないチーム。その3年生のために北北海道大会の本大会に出たいという思いが強かったです。だから肩が壊れてでも、勝ちたいと思っていました」
十勝支部予選では2回戦の帯広農戦で3失点完投。代表決定戦でも3失点完投勝利で目標の北北海道大会出場を達成。本大会では旭川大高戦で敗れ甲子園出場はならなかったが、古谷はここで未来へつながる経験を手にした。