國學院久我山センバツで準決勝進出

國學院久我山・上田 太陽
今年の東京の高校野球界で、最も明るい話題はやはり、國學院久我山のセンバツ・ベスト4だろう。東京勢がセンバツで準決勝に進出するのは、2012年の関東一以来10年ぶりだ。
前評判は決して高かったわけではない。エースも不在だった。それでも成田 陸投手(3年)、渡邊 建伸投手(3年)、松本 慎之介投手(3年)といった投手が、それぞれの役割を果たした。打線では準々決勝での下川邊 隼人内野手(3年)の本塁打が目立ったが、攻撃的なバントも全国に強い印象を残した。そして、忘れてはならないのは、昨年の秋にイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)による特別指導も見逃せない。もともと学習能力の高い選手たちは、イチロー氏の教えを自分なりに生かして、甲子園で活躍した。しかし準決勝では大阪桐蔭に力負けした。
1962年は日大三が準優勝、72年は日大桜丘と日大三の東京決戦になり日大桜丘が優勝、82年は現監督の市原 勝人投手を擁する二松学舎大附が準優勝、92年は帝京が優勝(東京から優勝はその後出ていない)、2012年は関東一がベスト4と、2002年を除き末尾が2の年に東京のチームが好成績を残す不思議な現象は、今年も続いた。
3年ぶりに神宮球場で夏の大会を通常通りに開催

この2年、東京の高校野球はコロナに加え、東京五輪のため、変則的な開催になっていた。東京の高校野球といえば、やはり学生野球の聖地・神宮球場だ。一昨年、昨年と東東京大会の一部の試合は神宮球場で行われたが、この夏は、西東京大会の準々決勝以降も含め、3年ぶりに神宮球場で通常通り開催された。東東京大会は1回戦から神宮球場で行われているが、準々決勝からの神宮球場は、「やはり違います」と都立文京の梨本 浩司監督は言う。
7月31日に行われた西東京大会の決勝戦は、日大三ー東海大菅生という好カードということもあって、2万2000人の観客が詰めかけ、外野席も多くの観客で埋まった。
また昨年は夏の東西東京大会の準決勝、決勝戦が行われた東京ドームと、秋季都大会の準決勝、決勝戦が行われた神宮球場の外野席に限り、ブラスバンドやチアガールの応援が認められたが、今年は春の準々決勝から、一部の球場を除き応援が認められた。まだ声出し禁止などの制限はあるものの、コロナ前の日常に徐々に戻りつつある。
都立富士森の4強など、都立旋風が起きる

仲間と喜びを分かち合う都立富士森・甲斐 凪砂
この夏の東京で最大のサプライズは、都立富士森の西東京大会・準決勝進出であろう。秋も春も1次予選で敗退し、廣瀬 勇司監督から「今までで一番弱い代」と厳しい言葉をかけられてきた。しかし4回戦で聖パウロ学園に延長11回の熱戦の末勝利すると勢いに乗り、5回戦ではシード校の駒大高を破った。神宮球場で途中からナイターで行われた日大鶴ヶ丘戦も延長戦の激闘を制した。準決勝で日大三には完敗したが、神宮球場での試合を楽しんでいる姿が印象的だった。
東東京大会の準々決勝では、都立城東が優勝候補の筆頭であった関東一を破った試合も驚きであった。東東京大会では、都立城東のほか、都立文京、都立小山台の3校がベスト8に残り、都立勢の健闘が光った。
その一方で、元祖都立の星ともいえる都立東大和は、秋の大会の登録はギリギリの10人。かつては100人を超える大所帯であった。部員減少は都立東大和だけではない。それでなくても野球人口が減少しているうえに、コロナで部員の勧誘が難しいことも要因になっているようだ。
都立といえばこの秋、イチロー氏は都立新宿を指導した。進学校の球児たちが、イチロー氏の指導でどう変わるか。来年を注目したい。
(記事:大島 裕史)