「メモリアル男」比嘉公也監督が、沖縄の歴史に名前刻んだ


 まさに貫禄勝ちだった。沖縄尚学が圧勝して、沖縄勢の春夏通算甲子園100勝を手にした。同50勝目も沖縄尚学だった。この日、三塁側ベンチで指揮を取った比嘉 公也監督が、背番号1をつけて、マウンドに上がっていた99年センバツでのことだった。球児として50勝目、監督として100勝目。左腕エースとして成し遂げた99年センバツでの沖縄県勢初優勝とともに「メモリアル」が似合う男だ。

 阿南光を相手に、沖縄尚学エースナンバーを背負う當山 渚投手(3年)が完封勝利した。140キロ後半の速球こそないが、内外角に針の穴を通すような投球で、2安打されながら、併殺と盗塁死による「残塁無し」の「打者27人斬り」の完封劇だった。最後は右打者への内角ストレート。その球筋は、99年センバツ初戦で完封、準決勝でPL学園相手に好投した「比嘉 公也投手」の姿とダブって見えた。自分の「分身」のように育てたのだろう。そんな気持ちになった。

 比嘉監督は「二死から」と「下位打線」の粘りを課題に掲げ、この夏を戦ってきたという。この日、1回は2死走者なしから四球を選んで後に連続二塁打で2点。2回も二死一塁から1点を追加した。6回、7回は下位打線からチャンスを作って、得点を追加した。最後まで諦めない「粘り」を忘れなかった沖縄尚学ナインが、貪欲に得点を積み重ねて快勝した。指揮官の指導が、しっかり浸透している結果だった。

 この日は九州勢が4チーム登場した。第1試合が長崎商熊本工が直接対決。再三のチャンスを作りながら、あと1本が出ずに熊本工が敗れた。第2試合はセンバツ準優勝の明豊が「V候補」という肩書を引っ提げ、初戦に臨んだが、千葉の激戦を勝ち抜いた専大松戸の前に完敗した。春の準Vチームが夏に出場するのも、簡単ではなく、ましてや勝ち上がることは簡単ではない。強豪相手とはいえ、まさかの完封負けに、甲子園という舞台の難しさを痛感した。

 熊本工の田島監督、明豊の川崎監督、そして沖縄尚学の比嘉監督は、いずれも1981年度生まれの「同級生」である。今後の九州を引っ張る監督たちの明暗はくっきり分かれてしまった。センバツ準Vチームがその年に挑んだ夏甲子園で、初戦完封負けは、1958年中京商(現中京大中京=愛知)以来、63年ぶり。川崎監督の悔しさは想像を超える。

 左ひじに痛み止めの注射を打ちながら、センバツのマウンドで輝いていたあの比嘉投手は、今や半分白髪交じりとなった40歳の「不惑」の比嘉監督となった。すでにセンバツ優勝監督でもあり、沖縄高校野球界の「名将」への道を歩もうとしている。今夏は唇をかみしめた田島監督、川崎監督だが、さらに強いチームを作って、この屈辱を晴らす日が必ず訪れる。

(文=編集部)