県立池田高等学校(徳島)
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「やまびこ打線・『IKEDA』のユニフォームが甲子園に帰ってくる」
過去にセンバツ出場7回、うち2度の全国制覇(1983年・第55回大会、1986年・第58回大会)。夏も出場9回、1982年・第64回大会では全国制覇。春21勝5敗、夏16勝6敗、甲子園通算37勝11敗の偉業を成し遂げた故・蔦文也監督と共に語られる徳島県立徳島池田高等学校。間違いなく今大会における話題校の1つである。
「センバツ出場が決まった1月24日から、マスコミさんがいらっしゃらなかった日は一日だけでしたね」
池田自慢のダブルエース名西 宥人(左)渡邉 剛志(右)とリードする三宅 駿(中央)
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ネット裏に詰め掛けるファンの方々からの「がんばって」の声。かつての池高球児たちから届く差し入れ。「こういったことが毎日起こるんです。新鮮な感じですね」1992年夏甲子園ベスト8時に、主将を務めた南健太郎さんから贈られた「せとか」を手にしながら三宅 駿捕手(3年)も語るように、選手たちは「地域の皆さんに感謝の気持ちを持って野球をしたい」(渡邉 剛志投手・3年)想いを日々高めてきた。
その中で、彼らは新しい「池高野球」を形成しようとしている。
「2月中旬からは打者にも立ってもらって変化球の手ごたえもつかめてきています。出る限りは優勝を狙いたい」
と、自身の好調さをうかがわせるコメントを連ねる最速139キロ右腕・名西 宥人(3年)は、
「昔の池高は打って打ちまくるイメージがあったと思うが、僕がしっかり守って打つリズムを作るようにしたい」
とあえて投手主導で打撃を引っ張る理想像を描く。
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[page_break:自分たちの出来ることを精一杯!]自分たちの出来ることを精一杯!
岡田康志監督の指示を聴く池田の選手たち
一方、大きなカーブを軸とした緩急を武器に名西と共にダブルエースの期待を担う渡邉 剛志(3年)は、
「昨秋四国大会決勝(2013年10月27日)では全く腕が振れず悔しい思いをした。センバツではベンチに入っていない選手を含めて期待を背負っているので、全力で投げて皆さんを楽しませるようにしたい」
と、責任を楽しみに変えることで、チームを牽引する決意を語った。
もちろん、打線も意気は高い。
「今までやってきたことを信じて思い切り自分のスイングを。甲子園でも『徳島池田の4番』に恥じないバッティングをしたい」
こう話すのは高校通算11本塁打の岡本 昌也三塁手(3年)。そして両者にはある共通項が存在している。
「自分たちのできることを精一杯全力でやっていく」(木村 諄一塁手・3年)
「できることを・全力で」昨秋四国大会決勝進出の原動力となったキーワード、これが引き続きセンバツでのテーマとなる。逆に言えば、これが継続できているからこそ、彼らは地域の暖かい視線に包まれているのだ。
「大きなケガがなく、ここまで来たのがなにより。練習試合でミスをしても課題を修正する準備はできたし、バットも振れるようになってきた。あとは大会に向けて万全の状態を迎えられれば」と冬の成果を述べた岡田監督は、続いて地域・OBと池高野球部の「幸せな連鎖」を、こう明かしてくれた。
「OBの皆さんも甲子園に行ける喜びをすごく感じてくれていると思います。現段階では『甲子園に行けてよかった。精一杯頑張ってこいよ』という雰囲気を感じています。私も常々『行ったことを認めてほしい』と言っていますが、皆さんも内心『勝ってほしい』と思っていても『それを口に出して現役の選手に言ったらいかん』と理解して対応してくれている。
そして、このチームは選手たちが自分たちのレベルを理解できていることが何より。僕は緩んでいる時だけ引き締めて、空回りだけしないようにしたい。一生懸命する姿を見せられれば十分だと思います」
三宅主将をはじめ選手たちも、指揮官の意向はよく理解している。「徳島池田の誇らしさは感じるが、あまり昔のことを考えすぎると自分たちの野球ができなくなる。自分たちの仲のよさを活かして、準備と確認をしっかりして、できることをしっかりやっていきたいです」
3月12日、4連勝の鹿児島遠征を終え県内最初の練習試合となった穴吹戦。センバツへの練習を兼ねたブラスバントが高らかな音色を上げる中、徳島池田打線は11安打8得点と打線が爆発。投手陣も7回安打無四球の名西、2回1安打1四球の渡邉が完封リレー。周囲の期待はさらに高まった。それでも、岡田監督は試合後、あのコメントを残した。
「今出来ることをやるだけですよ」
センバツでもこの言葉を胸に徳島池田は闘っていく。
(文・寺下 友徳)
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