目次

[1]甲子園の中止が発表された日
[2]野球とともに歩んだ人生

 5月20日、甲子園の中止が発表された日。
平野貴史は、その夜、中学時代の監督にこれまでの感謝の気持ちを記したメッセージをLINEで送った。

「こんばんは。今日、甲子園大会の中止が決まり、まだ心の整理は完全には出来ていません。ですが、もう決まったことに変わりはないので、これからまた今できることをやりきりたいと思います。甲子園とはまた違った濃い夏にしたいと思います」

上越市立春日中時代の恩師・岩舩尚貴監督(現上越教育大附属中)へ送ったこのメッセージは、「次に進むための決意」だったと平野は言った。

 小学生の時から、地元新潟の強豪・日本文理の甲子園での活躍をみてきて、ずっと憧れのチームだった。
 自分もここで野球がやりたい!と、中学を卒業後、日本文理高校に入学。2年生の夏にチームは甲子園に出場したが、平野は甲子園には帯同はせず、居残りのメンバー79人をまとめるために、自ら新潟に残ったというほど、キャプテンシーのある男だった。

 しかし、新チーム結成後の秋の大会では、初戦で敗退。
「自分たちならできるという気持ちがどこかにあって、それが過信につながった結果でした」と平野は秋を振り返る。
 夏は、もう一度、甲子園へ。そして、自分たちの代で今度は全国優勝を。
そんな思いでキャプテンとして、チームをまとめてきた平野だったが、あの日、甲子園の夢は絶たれた。

 

「甲子園を目指して日本文理に入学して、ここまで頑張ってきましたが、それがなくなったのは、僕の人生においても大きな出来事でした。だけど、鈴木監督や高野連の方々が、僕たちのために、代替大会の準備もしてくださり、最後はその大会で優勝したいという目標に切り替えて、またグラウンドに戻ってきました。 自分はキャプテンとして、堂々とチームを鼓舞していくことで勝ちにつながっていくと思うので、仲間とともに最後まで戦っていきたいです」

 そう大会開幕前に話してくれた平野。
7月18日に開幕した新潟県高校夏季野球大会では、日本文理は決勝まで順調に勝ち上がるも、最後は中越に3対9で逆転負けを喫し、準優勝に終わった。
 決勝戦で、平野は6回に代打で出場するも三振に倒れたが、最後まで気迫をみせた。
そんな平野を最後までずっと応援してきた中学時代の恩師・岩舩監督は、高校野球を終えた平野にこう手紙を寄せた。