Column

中井哲之(広陵監督)③ 佐賀北戦「満塁弾」の後にあったもう一つの勝負の分かれ目

2022.02.06

 昨年秋の明治神宮大会で準優勝に輝いた広島広陵(広島)は、今センバツ出場を決めた。「名監督列伝」第2弾は、その広島広陵を率いる中井 哲之監督。もう30年以上もチームを率いている。センバツ優勝2回、夏甲子園準優勝2回。春夏通算で19度も甲子園のベンチに座った。名将はいかにして名将になったのか。今回は選手との絆を紹介する。

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これまでのシリーズはこちら

■第1回
「寝耳に水だった監督就任」

中井哲之(広陵監督)③ 佐賀北戦「満塁弾」の後にあったもう一つの勝負の分かれ目 | 高校野球ドットコム名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

決勝後の「大事なこと」

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中井 哲之監督(広陵)=2017年の国体優勝時

「散歩に行ってきていいですか」

 キャプテンの藤田 真弘が、中井 哲之監督にそう申し出る。2003年4月4日。第75回選抜高校野球大会で広島広陵が優勝した翌日、新大阪駅に近い宿舎でのことだ。

 大会期間中の広島広陵ナインは、宿舎そばの淀川河川敷で軽い運動をしたり、素振りをしたり、自由時間には散歩に出かけるのが日課だった。前日の決勝で、横浜(神奈川)に勝ったあとも宿舎泊まり。この日地元に帰る新幹線の時間までは、まだ余裕がある。その間を利用して散歩に出かけたいというわけだ。

「聞くと、『応援してくれたホームレスのおばちゃんに、お礼をいいたい』と。なんでも、毎日、河川敷を散歩するうちにその方と顔見知りになり、それからは『頑張れ、ラジオで応援しているさかいな』と応援していただいたそうです。私は日ごろ、『人に出会ったら、見知らぬ人でもきちんと挨拶せえよ』と教えていますから、ホームレスの方にも、彼らは分け隔てなく接していたんでしょう。『そうか、そんな大事なことがあったんか』とうれしくなって、私もその散歩についていきましたね」

 いい話である。

 ダルビッシュ 有投手(現レンジャーズ)が、東北(宮城)の2年生エースとして初めて甲子園に姿を見せた大会。広島広陵は強かった。エースに西村 健太朗投手(元巨人)、白濱 裕太捕手(現広島)、二塁では上本 博紀内野手(元阪神)が2年生ながら定位置をつかむ。まず旭川実(北海道)との初戦、4番・白濱が3安打3打点の活躍、9回途中まで投げた西村が1失点の好投で8対1。好投手・小嶋 達也投手(元阪神)のいた遊学館(石川)戦では、西村が3安打完封の6対0。準々決勝は、西村が近江(滋賀)を失策がらみの2点に抑え、上本がファインプレーを連発して4対2。東洋大姫路(兵庫)との準決勝は、相手エースのグエン・トラン・フォク・アンが、延長15回の引き分け再試合などの4日間連投となり、5対1。そして横浜との決勝は、涌井 秀章投手(現楽天)、成瀬 善久投手(元ロッテほか)の二枚看板を打ち崩し、西村が3失点完投で15対3。決勝での15得点は、当時の大会最多タイ記録という大勝だった。

「それはともかく…」と中井はいう。

嬉し恥ずかしの歓喜の瞬間

「最後の打者を打ち取って優勝が決まり、当時の宇原毅部長と涙ながらに握手をしていると、西村たちが三塁側ダグアウトを目がけて走ってくるんですよ。ふつう優勝の瞬間というのは、捕手と内野手がマウンドのピッチャーに駆けより、ちょっと遅れて全力疾走の外野手、ダグアウトにいた控え選手で喜びの輪を作るでしょう。それなのにあのときは、私たちのいるダグアウト目がけて選手が集まってくる……」

 はたと思い当たったのは、いつかのミーティングで話した内容だった。サッカーはええのう、たとえば点を取ったあととか、試合に勝ったあとに、フィールドにいる全員がベンチの方向に走りよるじゃろ? 野球でも、あんなことができたらええじゃろうのう……。アイツら、そうしようとしているのか。ただよりにもよって、甲子園で優勝を決めたあとである。球場にいるファンだけではなく、テレビでも何百万人が見ているのだ。「冗談じゃない、早くグラウンドに戻って整列せぇ! まず、試合終了の挨拶じゃ」。あわてて選手たちを押し戻したという。

「それでも、ミーティングの内容を覚えていて、しかも、それを甲子園で実行しようとした選手たちが、ちょっと誇らしかったですけどね」

 それと河川敷での挨拶も、だ。中井にとって、91年のセンバツ以来、12年ぶりの優勝だった。

 このときも含め、センバツでは3回の優勝があり、「桜の広島広陵」「春の広島広陵」といわれるチームはなぜか、夏は頂点に届かない。4回決勝に進出しながら、いずれも敗退なのだ。最初が1927年(●1対5・高松商=香川)、2度目が67年(●1対7・習志野=千葉)、3度目が2007年(●4対5・佐賀北)と、ここまではピッタリ40年おき。そして4度目が、中村奨成捕手(現広島)が大会6本塁打の記録を打ちたてた17年(●4対14・花咲徳栄=埼玉)。間隔は10年と短くなったが、西暦の末尾が7の年、という巡り合わせは続いている。とはいえ夏の頂点に立つのに、なにも27年まで待つ必要もないのだが。

[page_break:「無意識に拍手」した積極走塁]

「無意識に拍手」した積極走塁

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中井 哲之監督(広陵)=2017年の取材より

 07年に準優勝したチームには、野村 祐輔投手(現広島)と小林 誠司捕手(現巨人)のバッテリーのほかに、土生 翔平内野手(元広島)、2年に上本 崇司内野手(現広島)らがいた。第89回全国高校野球選手権大会の決勝は、8月22日。佐賀北との対戦は7回終了時点まで4対0とリードし、エース・野村は、そこまで相手に1安打しか許さない完璧な投球だ。優勝まであと2イニング。だが、8回裏。佐賀北の粘り強い反撃に遭い、ついには満塁本塁打を浴びて信じられない5点を失った。

 リードをはき出し、1点を追って9回表、最後の攻撃である。先頭の林 竜希内野手が、三遊間を破って一塁に出た。打順は下位、まず1点がほしいところだ。その通り、岡田 淳希外野手が丁寧に一塁前に転がした。一塁手が処理し、きわどくアウトにするいいバントだ。このとき、バントエンドラン含みでいいスタートを切っていた一塁走者の林は、二塁を回ってもスピードを落とさずに三塁を狙った。打者走者にタッチした一塁手が、そのまま三塁に送球する。タイミングは微妙。だが、三塁塁審の右手が上がった。アウト——。

 1死三塁にすれば、スクイズでも犠牲フライでも、あるいは相手の暴投でも同点に追いつくことができる。だが、それが2死走者なしだから、天と地の違いである。大きな大きな、勝負の分かれ目だった。1死二塁でも、ヒットが出れば得点の確率はかなり高いのだから、リスクを冒してまで三塁を狙う必要はあったのか、という考え方もある。だが、あと1人で試合終了と追い込まれても、アウトになってダグアウトに戻る林を、中井は拍手と笑顔で迎えた。

「その場面、無意識に拍手したんでしょうね。記憶にはないんです。でも、テレビではその場面が映されたようで、大会が終わったあと、何人かに聞かれましたよ。確かに、『あそこで三塁を狙う必要があったのか? 1死二塁のままでも、ワンヒットで点が入るじゃないか』という見方もあるでしょう。アウトになった走者を責める監督もいるかもしれません。ただ、スキがあればひとつでも先の塁を狙えというのは、日ごろから選手たちに徹底していることで、アウトかセーフかは、また別の問題。林はそれを、あのせっぱ詰まった場面で見事に実行してくれたんです。それがうれしくて、思わず笑顔になり、拍手が出たんでしょうね」

 佐賀北の捕手・市丸大介も、こんなふうに語っていた。「僕は相手ベンチを観察するのが好きなんですが、あの9回表、三塁を狙ったランナーがアウトになったとき、中井監督が拍手をするのを見たんです。積極走塁をあそこまで徹底できるのは、すごいと思います」。

 結局この試合は、後続の野村が三振して試合終了ということになるが、中井がいかに選手を信頼しているかを示すエピソードはほかにもある。

[page_break:謝りに来た選手に食事]

謝りに来た選手に食事

中井哲之(広陵監督)③ 佐賀北戦「満塁弾」の後にあったもう一つの勝負の分かれ目 | 高校野球ドットコム
中井 哲之監督と広陵ナイン

 この大会の中井は、もともと体調がよくなかった。それが東福岡(福岡)との2回戦から悪化し、聖光学院(福島)戦の途中では、ついに熱中症でダウン。監督不在のまま試合を進めることになった。それでも選手たちはなんの動揺もなく、「いつも自分たちで考える野球をやっていますから」。その後も中井の体調はなかなか戻らないながら、チームは見事に決勝までたどり着くのである。

 監督不在。でも、いつもやっているとおりにやればいい—。そういう信頼感は、日常の蓄積にある。この代の中井は、練習中によく怒ったという。センバツで帝京(東京)に1対7と完敗し、広島に戻ったあと、一時野村のエース番号を剥奪するなどカツを入れたが、いまひとつピリッとしない。練習中に集中力を欠くこともしばしばだ。「もうええわ、オマエら。今日は練習やめじゃ、好きにせえ」と、業を煮やした中井が、グラウンドをあとに帰宅することもあった。

「するとキャプテンの土生や怒られた当事者、マネジャーたちが、家に謝りにくるんです。むさ苦しい高校生が、2人も3人も玄関前で待っていては世間体がよくないですから(笑い)。腹を立てながら『はよう中に入れ。それにしてもオマエら、汗くさいのう…。風呂で汗だけ流してこい!』などとなるわけです。そうやってバタバタしているうちに、自分でもなにに腹を立てていたのか、わからなくなってくるんですよ。結局、『よう謝りにきたのぅ。せっかくじゃけん、メシを食って帰れ』となる。そのうちに選手の間では、『中井先生が怒ったとき、家に謝りに行くと食事ができるぞ』と言われるようになりました」

 監督と選手の絆がうかがい知れるエピソードじゃないか。

 21年秋の広島広陵は中国大会を制し、この春は令和になって初のセンバツが待っている。エース・森山 陽一朗投手(2年)は、秋の広島大会では背番号20。「故障で、1年間はランニング部のように走ってばかり」(中井監督)だったためだが、エース番号をつけた中国大会では、27回3分の2を投げて自責点わずかに2と抜群の投球内容だった。下関国際(山口)との決勝では、8回までノーヒット、三塁を踏ませない1安打完封と圧巻だ。4番に座るのは、1年生の真鍋 慧。「見てきたなかで、スイングスピードは歴代ナンバーワン」とは中井監督で、ニックネームをつけるのが好きな同監督から、入学直後から「ボンズ」と呼ばれているほどだ。「中村 奨成のように、大舞台に強くなれば」という中井監督は、こう続ける。

「チームの総合力では、河野 佳(大阪ガス)がいた19年を上回ると思います」。河野といえば社会人2年目の21年、ベストナイン、最多勝利投手賞、最優秀防御率賞と社会人野球の投手タイトルを総なめにし、22年のドラフトでは目玉の一人に数えられる。その河野がいたときよりも、手応えはあるようだ。

 28歳にしてセンバツを制した中井監督も、今年は還暦を迎える。選手たちは、どんなプレゼントをもたらしてくれるだろうか。付け加えれば、もし白星を挙げると、広島広陵は大正・昭和・平成・令和と、4元号での甲子園白星を記録することになる。

(記事:楊 順行

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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