目次

[1]甲子園出場を目指して京都成章に進学
[2]甲子園出場のために文武両道に励む
[3]甲子園初出場も初戦でまさかの大敗
[4]危ない試合をモノにできるチームが夏に勝つ
[5]悲願の甲子園1勝。その後も破竹の快進撃
[6]高校野球が今にいきているのは「忍耐力」
[7]映画「ザ・エージェント」の影響からスポーツマネジメントの世界へ
[8]上原浩治さんの一言で独立。トップ選手からの刺激も糧に進む

悲願の甲子園1勝。その後も破竹の快進撃



澤井芳信さん(京都成章OB)

 会心の戦いで、春夏連続での甲子園出場を掴んだ京都成章
 周知の通り、甲子園でも破竹の勢いで勝ち進んでいき、最終的には準優勝を果たすことになるのだが、当初の目標はあくまで初戦突破。学校として初の甲子園勝利を挙げ、選抜甲子園ではできなかった勝利の校歌を歌うことを目指していた。

 それだけに1回戦の仙台高校戦は、甲子園の戦いの中でも特に印象深く残っている。試合後半に打線が繋がり、10対3と大きくリードした状態で最終回を迎えた京都成章だったが、9回裏に突如相手にペースを奪われる。

 4連続長短打で点差を詰められると、さらに守備にもミスが出て3失点。なおも三塁にランナーを置くピンチを迎えると、澤井さんはマウンドに野手を集め、気持ちを落ち着かせることを提案する。
「普段からやっていたメンタルトレーニングを活かして、高ぶっていた気持ちを一度落とすという作業をやりました。『まだ勝っているから一回みんな落ち着こう』と言って、野手全員で屈伸をしたんですよ。プレー再開後、いきなりショートゴロが来て『これ絶対エラーできひんやん』って思いましたが、何とかアウトにできました」

 澤井さんが捌いたショートゴロの間に三塁ランナーが生還してさらに1点は失ったが、これで二死ランナーはなしとなり、最後はエースの古岡投手が三振を奪ってゲームセット。10対7で逃げ切り、念願だった甲子園で校歌を歌うことができた。
「初戦を勝ててとりあえずは良かったなと。そこから上を目指すというよりも、一戦一戦目の前の敵を倒すことにしか集中していなかったですね。競った試合も多かったですが、あとはもう楽しかったです」

 その後は、2回戦で如水館を5対3で撃破し、3回戦では桜美林に5対1で勝利しベスト8進出。以降も、常総学院豊田大谷と強豪校を立て続けに破り、京都成章は見事に決勝進出。松坂 大輔投手を擁する横浜高校と、日本一をかけて激突することとなった。

 松坂投手は準々決勝のPL学園戦で延長17回を投げ、一人で250球にも及ぶ熱投、また翌日の準決勝・明徳義塾戦でもリリーフ登板していた。
 疲労がピークに達していることは想像に難くなく、実際に1番を打つ澤井さんも初回の投球を見て「行けそうだ」と感じたと振り返る。
「記事に出て後で知ったのですが、はじめは打たせていこうと考えてたみたいで、まだエンジンもかかっていなかったのだと思います。でも先頭バッターの僕がいきなりジャストミートして、結果はアウトでしたが、そこで松坂のエンジンがかかったみたいですね」

 回を追うごとに松坂投手のボールは勢いを増していき、初回に感じた希望は気が付けば消失していた。付け入る隙は一切なく、得点どころかヒットすら許してもらえない。
「是非一回見てみてください。PL学園戦の松坂のフォームと、決勝の松坂のフォームは全然違いますから。PL学園の時は力んでいましたが、僕らとの試合では力が抜けて指にパチンとボールがかかり、伸びのあるすごい球がきていました。あれは打てません」

 結果、京都成章は最後までヒットを1本も打つことができずに、ノーヒットノーランを許し完敗を喫した。
 平成の怪物・松坂 大輔のすごさを最後の最後に見せつけられた形となったが、それでも澤井さんは楽しく高校野球を終えることができたと振り返る。
「よく冗談で言うのですが、中学時代の全日本のメンバーが集まったチームと、僕らのような名もなき集団が戦うとこんな結果になるなと。 それに僕らは選抜甲子園で2対18と大敗したところからのスタートでしたし、春を経験していなかったらピンチで屈伸したり、冷静にプレーすることもできなかったと思います。
 負けてもやりきった感がありましたし、逆に横浜高校はあそこで僕らに負けていたら笑っていられなかったでしょう。そこの差ですかね」