甲子園という強固な理念があるからこそ「もっとやれた高校野球」 岩倉高校OB・後尾和男社長(新灯印刷株式会社)
家業である印刷会社を土台に、書籍の企画・プロデュースや物流、出版とグループ企業を次々と増やしていき、ワンストップでの出版サービスを展開しているのが新灯印刷株式会社の後尾和男社長だ。
40歳の時に3代目として代表取締役を引き継いだ後尾社長は、製造原価が下がり続ける業界の現状に危機を感じ、自社で出版物を作り流通、販売までを行う仕組みを考案。現在では「出版」をトータルでサポートできるグループ企業を確立した。
そんな後尾社長は、現在の活躍は高校野球の経験が大きな土台になっていると断言する。
東京都の強豪・岩倉高校野球部出身の後尾社長は、第56回選抜高校野球大会の初出場初優勝にも立ち会うなど、怒涛の高校野球生活を過ごした。
今回は高校時代を振り返っていただき、「現在の仕事にも繋がっている」と語る背景を見ていく。
優勝旗返還で甲子園の土を踏み、KKコンビとも記念撮影
後尾社長が野球を始めたのは小学校3年生からだ。
野球をやっていた友人の影響で少年野球チームに入団し、中学校では東京都大会への出場が常連だった練馬区の旭丘中学校野球部へ入部。遊撃手として活躍し、都内の強豪校である岩倉へ進学した。
「実は岩倉に進学したのは、一般受験で(志望校に)落ちてしまったからなんです。岩倉は滑り止めで受けていて、しょうがなく行ったという感じでした」
志望校ではなかったとは言え、野球に対しては情熱を燃やしていた後尾社長。甲子園出場の目標をもって、強豪である岩倉高校野球部へ入部したが、そこでは想像を超える厳しい練習が待っていた。
「当時の練習はグランド50周を走るところから始まり、水を飲むことも許されない時代でした。僕が3年生になった時は3学年合わせると300人くらい部員がいて、練習についていけない部員もたくさんいましたね。上下関係もとても厳しかったと思います」
優勝旗の返還で甲子園に立った高校時代の後尾社長(一番左) 清原和博(一番右)をはじめPL学園の選手たちと記念撮影
そんな厳しい環境の中で高校野球に打ち込んでいた後尾社長だが、その中でも大きく印象に残っている出来事が2つあると話す。
まず一つ目は、選抜甲子園大会の優勝旗を返還にいったことだ。
2年生の夏まではベンチに入ることも出来ず、2年生の春にチームが甲子園で初出場初優勝を飾った際もスタンドで応援団を務めていた。だが地道な努力と責任感の強さを買われ、2年夏からの新チームではキャプテンを任されたのだ。
そして高校3年生の春、第56回選抜高校野球大会の開会式で後尾社長は優勝旗の返還で甲子園の土を踏んだ。
「前年度優勝校の校旗をバックスクリーンの上に掲揚する時があるんですが、後ろを振り返った時のスタンドに観客がいる感じがすごいんですよ。あの景色は二度と経験できないし、すごい経験だったなと思います。
しかも前年度の準優勝校が PL学園で、同世代には清原和博と桑田真澄がいました。待ち時間に、使い捨てカメラで彼らと写真を撮ったのも良い思い出ですね」
仕事にも活きた、相手の気持ちを考えること
高校時代の後尾和男社長
そして二つ目は、後輩に対して「鉄拳指導」を行わなかったことだ。
時代背景もあり、当時は先輩が後輩に対して「鉄拳指導」を行うことも珍しくなかった。だが後尾社長は、上級生の立場になっても力で後輩を従わせることは決してなかったと振り返る。
「僕は人と同じことをするのが嫌な性格で、当時は結構変わっていたと思います。みんなやるのが当たり前と思っていたけど、僕がやられた時にどういう気持ちになったのかなと考え、やっぱり恐怖に怯えてすごく嫌な思いをした訳です。そういったことを体験させたら、可哀想だなという気持ちが強かったですね」
後輩を力で従わせるのではなく、相手のこと思って話し合うことにした。
後尾社長は、この時の経験が社会人、そして経営者として社員を持つ立場に立った時に非常に大きく活かされたと語る。
大学を卒業後、家業である新灯印刷株式会社に入社した後尾社長。実は代表取締役だった父と業務を巡って言い争いとなり、一度は袂を分かつ。
その後、出版社の営業職に就いて子ども向けの教材を売り歩いたが、そこで後尾社長は抜群の営業成績を残したのだ。
「飛び込みで教材を売り歩く仕事でしたが、けっこう営業成績は良くて一時は全国で3位ぐらいまでになりました。(高校時代と同じように)お客さんが本当に喜ぶ事って何だろうなと、親身になって考えてあげたことが良かったなと思いますね」
営業マンとして経験を積んだ後、31歳の時に父と和解して再び新灯印刷株式会社へ戻ると、営業部長などを経て40歳で代表取締役に就任。企業のトップとして経営を行っていくこととなった。
するとここでも、高校野球で培った「相手を気持ちを考えること」が大きく役に立つ。
「社員を怒らないと駄目じゃないかと言う部下がいましたが、僕は怒って動かすことは一切しませんでした。お互いにしっかりと話して、何がダメなのかをアドバイスするようにしました。
それによって、新灯印刷を辞めた人でも印刷を頼むならとまた僕に連絡をくれたり、そういった広がりがすごくできていったと思いますね」
怒る人ほど自分に自信がない。これが後尾社長の基本的な考え方だ。
後輩や部下を怒って従わせても、継続して動かしていくことはできないと高校時代から感じていたと振り返る。またやらされてるうちは野球も仕事も自分の身にはならず、後輩が自ら進んで努力できる環境を作ることを、後尾社長は高校時代から意識して作ってきたのだ。
手を抜かずに色んな経験をして自信をつけてほしい
社員と打ち合せをする後尾和男社長
そんな後尾さんにとって「経営者」という仕事の一番の魅力は、「自分の給料を自分で決められるところ」だ。もちろん経営にはリスクも伴うが、頑張った分の成果をしっかりと反映できるところに経営者の仕事の大きな魅力があると話す。
「経営者はリスクも高いけど、その分天井はありません。だから自分で頑張って(会社を)大きくしようと思ったらできる訳だし、自分の給料を自分で決められるところも経営者の大きな魅力だと思いますね」
高校時代の経験を存分に活かして、経営者として活躍を続ける後尾社長。
自身の経験を踏まえて、現在の高校球児には「甲子園出場が叶わなかったとしても、目標に向かって努力することの大切さを学んで欲しい」と思いを口にする。
何か一つのものに純粋に集中できる期間は、高校の三年間しか無い。その短い期間の中で手を抜かずに努力を続けることで、自信にも繋がり、そして良い思い出としても残るのだと後尾社長は話す。
「やっぱり人間は、苦しくなると手を抜いてしまいますが、あと一本あと一回というのを大切にして欲しいなと思います。
私は本を作る仕事をやっていますが、ビジネス書で成功してる社長さんの取材をやっていくと、経営を始めた頃はみんな結構怒ったりして社員が辞めてしまうこともあります。
でもそういった立場になるとだんだん自信がついてくると言うか、色んな経験をして自信に繋がっていると思います。球児の皆さんにも、手を抜かずに色んな経験をして自信をつけてほしいと思います」
そして最後に「高校時代の自分にメッセージを送るなら、どんな言葉かけてあげたいか」と質問を投げると、後尾社長はまず組織を運営する上での「理念」の重要性から語った。
「うちは今、『成長なくして存続なし、100年以上続く企業を目指す』という理念の下やってるのですが、実は変えようかなと思っているんです。社員みんなが100年以上を目指すのはちょっと考えられないので、全員が同じ方向を向いて経営理念を考えた方がいいなと思っています」
その点では、高校野球にはどのチームにも「甲子園」という強固な理念がある。強い理念の中で野球に打ち込める高校時代は、今振り返ればとても貴重な時期だった。
だからこそ後尾社長は、過去の自分に対して「もう少しできたのではないか」とあえて苦言を口にする。
「もう少し一生懸命やれば、最後の夏も3回戦なんかで負けないでもっとできたはずだって思います。
なので、あの時の自分に言葉をかけることがあれば『あともうちょい頑張れ!』と言ってあげたいですね」
高校野球から多くのものを学び、それを人生に活かした後尾社長。
これからも第一線で活躍を続けるに違いない。
(文/栗崎 祐太朗 )