目次
恩師が語るヒーローの高校時代

[1]投手として巨(なお)に教えることはほとんどなかった / 備わっていた「名投手」の条件
[2]ある練習試合での「叱責」を経て / 「延長11回」死闘の裏で
[3]「NPB投手」東浜 巨へのエール

 群雄割拠の東都大学リーグ4年間で35勝。今もトップスコアラーの通算22完封・420奪三振を残し、2013年にドラフト1巡目で亜細亜大から福岡ソフトバンクホークスに入団。今季は4月に2試合先発するなど、3年目の飛躍が期待される東浜 巨(ひがしはま・なお)。

 その東浜 巨沖縄尚学高(沖縄)時代に育て、2008年に同校2度目となる全国選抜高校野球大会優勝旗をもたらしたのが、自身も現役時代・エースとして1999年春に初の甲子園優勝を成し遂げた比嘉 公也監督(沖縄尚学)である。あれから約7年。時を超え、当時の愛弟子を恩師が改めて振り返った。

投手として巨(なお)に教えることはほとんどなかった

東浜 巨選手(福岡ソフトバンクホークス)

「(東浜)巨(なお)に対する第一印象は『細い』。顔も幼く見える。だけどボールを投げると柔らかくしなる。もう凄かった。『これは……』と唸るピッチャーでした」

 うるま市立与勝中軟式野球部時代、九州大会3位に輝き、沖縄尚学の門を叩いた東浜 巨の投ずる硬式ボールは、いきなり比嘉 公也監督のど肝を抜く。
「柔らかさを持っているピッチャーは何名も見てきましたが、それを上手く使って、ボールに伝えられる子というのは、そんなにいないんです」

 2006年から沖縄尚学の監督として、多くのピッチャーを見て育ててきた比嘉監督ですら「巨のようなピッチャーには彼の後、未だにお目にかかったことが無い」と語る。ピッチャーとして必要な全てを持ち、且つそれら全てを余すことなくボールに伝えることが出来た東浜 巨

 しかも彼は15歳にして自らの能力におぼれる選手では無かった。
「何も教えることが無い。そんな選手でしたね。黙って見ていると、とにかくブルペンで投げる姿しか見ない。投げている子がいれば、それが巨と言えるほどです」

「好きこそものの上手なれ」という言葉がピッタリはまる姿。これが2年後にセンバツを制する原動力ともなる。

備わっていた「名投手」の条件

「努力って普通は自分にとって厳しく辛いもの。でも巨にとって、ピッチャーとしてのスキルを向上させる努力は『好きだから』なんでしょうね。好きで投げ続けて、自分のモノにしていった、と思わせる子でした」

 そんな東浜に対し、比嘉監督が指示することは『走っておくことも大事だぞ』。というセリフくらい。しかも「投げ込み方」には、プロフェッショナルな意識が備わっていた。
「ただ投げ込むのでなく、ストレートのキレとカーブ。基本をとにかく磨いて、それから沈む球へ。そんな段階を踏むのが巨でした」(比嘉監督)。

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