第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンド、日本は4連勝を収め、プールBを1位で通過した。
そのなか、剛速球右腕として評価を高めているのが、中日・髙橋 宏斗投手(中京大中京出身)だ。
中京大中京(愛知)時代は19年の明治神宮大会で優勝投手になり、20年の高校生No.1投手として注目された。同年のドラフトでは、中日から1位指名。高卒2年目の昨年シーズンに本格デビューを果たし、6勝7敗ながら、116.2回を投げ、134奪三振、防御率2.47の好成績を収めた。今年はWBC代表に選出。韓国戦の9回から登板し最速156キロの直球をマークするなど1回無安打無失点の代表デビューを飾ると、オーストラリア戦でも9回から登板し、本塁打1本を浴びたが自分の持ち味をしっかり出した。
髙橋の素顔を知るべく、中京大中京時代の恩師である高橋監督を直撃した。
類まれな素質の高さを成長させた髙橋宏斗の探究心の高さと人間性

髙橋宏斗投手
豊田シニア時代は2番手投手だった髙橋。当時のエースは藤井 翔投手(東海大菅生ーテイ・エステック)だった。高橋監督は当時から野球選手として能力の高さがあったと振り返る。
「同級生にいいピッチャーがいたり、器用にいろんなことができるので、内野も守ったりしたので、ピッチャーに専念というよりも野手と投手という形でやっていたこともあります。2番手というよりはピッチャーと兼用の内野手という位置付けでした」
高校入学までに180センチに伸びたこともあり、それからは投手一本となった。高橋監督が髙橋を投手に専念させたのは球筋から見える素質の高さを見抜いたからだった。
「私はピッチャーだけで考えていましたので、やってもショートだとか、それくらい器用にこなすこともありますが、彼の球筋と言いますか、投球の力強さには目を見張るものがありました。高校入学から投手一本で取り組んで、チームの核になる投手になるだろうと見ていました」
高橋監督の眼力通り、髙橋は1年秋にして、140キロ後半の速球を投げるまでに成長する。そして2年秋には明治神宮大会優勝投手となる。こうした成長の裏には探究心の深さがあった。
「向上心が非常に強いので、探究心も強くありました。そういったところに学生コーチと研究を重ねながら、自分に見合ったトレーニングについても意見を交わしながらやっていけたことが、彼の高校での成長に繋がったと思います。今もその良さがあると思うので、まだまだ本人のコメントを聞いても、WBCの錚々たるメンバーの中で勉強していると思うので、すごく本人にとってはいい機会になっていると思います。」
当時も、練習が落ち着いたタイミングで、髙橋は当時の学生コーチと意見を交わしていた。
1時間以上をかけて通学をしていた髙橋は移動中に、撮ってもらった好調時と打たれるときの投球フォーム動画を見て、反省を繰り返したり、野球についての読書をした。当時から直球の回転数にこだわったり、フォームに持論を持っていたり、こだわりが強く、投手としての知識レベルが他の高校生と比べてもずば抜けていたのを覚えている。高橋監督はその髙橋の個性を尊重し、育てていたのがうかがえる。