Tetsuto Yamada's high school days: What his mentor knows Samurai Japan's key player

 3月8日に開幕するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において、侍ジャパンの中心選手として活躍が期待されるのがヤクルトの山田 哲人内野手(履正社出身)だ。高校時代は3年夏に甲子園出場を果たし、3回戦の聖光学院(福島)戦で歳内 宏明投手(元阪神など)から本塁打を放っている。

 2010年にヤクルトからドラフト1位で指名されると、これまでに3度のトリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)を達成するなど、球界屈指の二塁手として活躍している。

 今回は履正社時代の山田の恩師であり、昨年4月から母校・東洋大姫路(兵庫)の監督に就任した岡田龍生監督に当時の話を聞いた。

ガツガツ感があった子ではなかった



山田哲人内野手(ヤクルト)

 岡田監督が山田を初めて見たのは中学3年生の時。所属していたヤングリーグ・兵庫伊丹の関係者から問い合わせがあり、視察に訪れた。「足が速いし、身体能力はあるなという感じでした」というのが、最初の印象だった。

 入学当時から能力の高さは誰もが認めていたが、欲のなさに岡田監督は物足りなさを感じていたと振り返る。

「非常に将来を楽しみにしていましたけど、彼の中にそこまで最初からガツガツ感があった子ではなかった。プロ野球選手は野球が仕事じゃないですか。年齢関係なくみんな生活がかかって野球をするという仕事なので、気持ちの部分もすごく大事だと思うんですよね。そういうのが出てきたら、プロ野球でも可能性はあるかなという感じですね。せっかくそういう能力があるのにもったいないなというのが指導者みんなの意見でした」

 そんな山田が変わったのは2年生の11月。卒業後の進路に関する面談を行った際に「プロに行きたい」と発言したことがきっかけだった。そこで岡田監督は、「Tー岡田(オリックス)だったら、こういうことしていたよ」など、歴代の教え子を引き合いに出しながら野球を仕事にすることの重みを説いた。すると、その直後から山田の行動が変わり、結果も出るようになったという。

「口先のことではなく、本当に気持ちの中で強く思っていたんでしょうね。だから、そういう取り組みをして頑張ろうという気持ちが本人にもより一層湧いたんじゃないですかね。だから、みるみる山田が進化していたというか、覚醒していったという感じでした。その後はほとんど彼に指導することはなかったですね」

 指導歴が35年を超える岡田監督だが、「僕は山田にすごく勉強させてもらった」と話すように彼の活躍が以後の指導者人生にも生かされているそうだ。

「高校生って気持ちが変わったら、こういうようなくらいに変化をするんだと。だから、それからどう変化させてやろうかということを考えながら接するようになりました」

「一冬越えて、春から夏に向けての伸び率は凄かった」という山田は3年生になってから鰻登りに評価を上げ、岡田監督も予想していなかったドラフト1位でプロの世界に進むことになった。