目次
恩師が語るヒーローの高校時代 歳内 宏明

[1]「魂のエース」へ変貌した2年4月の出来事
[2]「魔球スプリット」修得で甲子園ベスト8へ

 今年もセンバツで1勝をマークするなど福島県・東北地区の強豪として鳴らす聖光学院。その中でも特に甲子園で印象深い活躍を見せた投手がいる。
 2010年夏にはベスト8、2011年夏にも1勝をあげた歳内 宏明。常時140キロ台のストレートと魔球スプリットで、多くの打者を手玉に取り2011年秋にはドラフト2位指名で阪神タイガースに入団を果たした。
 右肩の故障で今季は育成選手でのスタートとなったが、プロ6年間で57試合に登板し2勝4ホールドを上げているタフネス右腕の真骨頂とは?聖光学院高校の恩師・斎藤智也監督の言葉から、そのルーツを探る。前編では聖光学院2年4月の大きな分岐点。そこから2年夏のベスト8に到達するまでを取り上げていきたい。

「魂のエース」へ変貌した2年4月の出来事

 田中 将大(MLBニューヨーク・ヤンキース)らを輩出した名門・宝塚ボーイズ時代に、甲子園で活躍する聖光学院に憧れ、兵庫県から遠く福島県での研鑚を選択した歳内 宏明聖光学院野球部・斎藤 智也監督は、2009年4月に出会った彼の状態を今も克明に表現できる。

 

 「130キロぐらいのストレートは投げられる投手で、能力は高かったですね。ただ腰の痛みがあって、あまり投げられていなかったんです。1年秋からベンチ入りもしたんですが、ストレートの球速は良くて135キロぐらい。変化球も今のようなフォークボール(スプリット)もなく、決め手がない投手でした」

  

 この当時、斎藤監督は歳内の大きな懸念材料も早くから見抜いていた。練習試合や公式戦でも強豪校相手には好投する反面、実力的に下位と思われるチームには痛打を浴びる。少々乱暴な言い方をすれば「相手をなめたピッチング」。そして、そんな傾向を何度も繰り返した2010年4月。ついにしびれを切らせたある3年生投手が練習中、指揮官へこう切り出す。

 

 「その子は当時では7番手ぐらいの投手だったんですが、『投手は今のままのような起用法を最後まで続けるんですか?』と聞いてきたんです。『なんでそんなことを聞くんだ?』と返したら、『僕は万が一のこともあって、ブルペンで肩を作っているので、それで報告しました』と。

  

 私はその言葉の裏側に『こんな2年生が投げるならば、俺が投げたほうがみんなを納得させる自信がある』という意味を読み取りました。その子は人間的にもできていて、チームメイトにも信頼があった。そういう子が言うくらいだから何か狙いがある。私はそう思ったんです」(斎藤監督)

 

 そこで斎藤監督も行動に出る。歳内が練習試合に打ち込まれて降板した直後、歳内を見ながら、3年生たちにあえてこう話した

 

 「歳内は夏に必要か?」

 

 「いらないです。こんな勘違いした奴はいらないです」と3年生たち。さすがの歳内もみるみる顔色が変わる。

 

 「だってさ歳内。ここに来る理由はないな。荷物まとめて帰るか」

 歳内の瞳からみるみるうちに涙があふれる。悔恨と新生を誓う号泣。この日「ガラスのエース」は「魂のエース」へと変貌した。