3月末〜4月にかけて、公立校の教職員の人事異動が発表される。この異動発表は新聞や各都道府県の自治体のホームページで公開されている。公立校野球部にとって監督・部長の異動はチーム力、チームカラーが大きく入れ替わる重要な問題である。今年は東京都、愛知県で苦しい思いで異動を受け入れたベテランの指導者たちがいる。
“都立の名将”たちが突然の異動
公立校の教員にとって異動はつきものであるが、熱心な指導者が情熱を注いで作り上げてきたチームの場合、「あと一回り(1年生が3年生になる3年間)、チームを任せて貰えたら、もっと手ごたえのあるチームが作れるのに」という思いの中での異動というケースも少なくはない。
当人はもちろんのこと、指導者を信頼していた生徒やその保護者たち、さらには「あの先生がいるから、子どもを預けようと思った」という、入学を希望していた生徒や親たちにとっても残念なことだ。教育委員会からの人事異動は、都道府県によって差異はあるが、“部活動に重点を置いたもの”ではないのが現実だ。
公立校の教員が公務員である以上、異動はつきものだが、どのような形で引き継ぎをするかが問題である。第三者としての意見であるが、もう少し現場の考え方や思いを考慮してもらえれば、と思う。
才野監督の話を聞く葛飾野の選手たち
東京都では葛飾野で6年間指導し、「今度のチームは一つの集大成としていいチームになりそうだ」という思いで新しいシーズンを迎える予定だった才野秀樹監督が、この春、井草へ異動となった。才野監督は葛飾野の前には小山台に赴任し、助監督として14年センバツを経験した。現役時代は拓大紅陵でプレーし、86年春夏の甲子園に出場。元ヤクルト・飯田哲也氏とはチームメイトだった。
今回の異動について才野監督は無念の思いを語る。
「あと2年は居させてほしかったという思いですね。高校野球のチームをある程度自分の指導理念で作り上げていくのは、一朝一夕ではできません。来てくれる生徒も含めて、自分の思いや考え方が伝わっている選手に来て欲しいと思っています。そのために、中学校やチームにも挨拶に行っています」
今春も、ある選手の弟が才野監督を慕って入学が決まった。合格発表の後、すぐにその保護者からも、「また、先生の下で(子どもが)頑張ってもらえると思うと、楽しみにしています」と、連絡があったという。これに対して、既に異動の内示を受けていたのだが、公式発表までは公言してはいけないということを伝えられているので、「返す言葉がなくて辛かった」というのが本音だった。
西東京で13年夏の準優勝、ベスト4進出も果たし、日野を都立の強豪として作り上げた嶋田雅之監督も小平南に異動となった。嶋田監督は強豪私立に負けない強打のチームを作り上げた。かつては日大豊山の好投手・吉村 貢司郎投手(ヤクルト)と春の都大会で対戦し、コールド勝ちを収めた実績もあり、都立高としては中学の強豪チーム出身の選手が入っていた。
日野はここ何年か、校舎改修とともにグラウンドも再整備を進めていた。グラウンドも広くして、この秋からは一次予選の会場校としての運営も担うことになっている。嶋田監督自身もグラウンドの完成と来たるべきシーズンへ向けての思いを馳せているところだった。
こうした異動人事に関しては、基本的に教育委員会からの打診はないという。部活動指導で実績を上げてきた教員にとっては寝耳に水なのである。