啓新vs上田西
啓新が接戦を制し決勝へ
啓新バッテリー
3回に二番・髙寺望夢内野手(1年)のタイムリー二塁打で先制した上田西。6回には六番・小林裕貴外野手(2年)と九番・堀篭昌真外野手(2年)がタイムリー二塁打を放ち、2点を追加した。
しかし先発の阿部巧雅投手(1年)がレフトへ回り、山口直央投手(2年)がリリーフした7回に展開が変わった。先頭打者への死球から無死二、三塁のピンチを背負うと、啓新のリリーフで九番に入っていた浦松巧投手(2年)に止めたバットに当たった打球をセンターへ運ばれ二者が生還。1点差となった。さらに二、三塁から誰もいない一塁に牽制球。これが悪送球となり、啓新が逆転。
結局、これが決勝点となり、啓新が北信越大会で初の決勝進出を果たした。
継投はいつも難しい。『野球あるある』ではあるが、両監督に話を聞くと、また違った感覚になる。
このゲーム。先に継投したのは啓新の方だった。先発の安積航大(2年)は6回を投げて、10安打3失点。6回の失点は痛かったが、10安打を浴びているわりにはよく3点に抑えていたと言える。植松照智監督も、「あの地点で10安打なのに3点。安積は合格点。あとの7回から9回は浦松が何とか抑えてほしいと。その期待に応えてくれた」と心境を話した。
一方の上田西。結果だけを見れば、7回の阿部から山口への継投は失敗した形だ。しかし試合前から原公彦監督は、球数100球程度での交代を話していた。さらに試合後、継投のタイミングを聞かれ、こう補足した。「(阿部は)肩の後ろに張りがあると言っていたので、無理をさせちゃいけないと思っていた。100球程度でと思っていたので、タイミングとしては悪くなかったと思います」。
6回を投げ終わったところで、阿部と山口には伝えていた。「山口には6回のピンチの所で四死球を出したら代えることもあると言いました」と伝達に関しては問題ないとの見解である。
結果的には、7回の代わりっぱなの死球で山口はテンパッてしまった形だ。二、三塁から誰もいない一塁に牽制球を投げてしまったのは、頭の中が冷静になりきれてなかった表れでもある。それでも指揮官は、「監督の責任」と選手たちをかばった。
もう一つ、焦点がある。100球程度と交代期を決めていて、回の頭から代えるとした場合、6回までで91球だった阿部の球数だ。取材の中で、こんな質問が飛んだ。「せめて、もう1イニング待つというのは考えなかったですか?7回は下位打線でしたし」。
原監督は「そこかな。もう1イニングですか・・・」と少し考え込んだ後、「そこに結論を求めちゃいけないのかなと思います」といつもの穏やかな口調で語った。
これが全てだろう。100球をオーバーしてから代えるのか、オーバーする前に代えるのか。結果論からはいくらでも考えられるが、実際にベンチにいる指揮官がその場で判断したことであることだ。
ただし野球とは、将棋の感想戦のように、結果論から色々復習できるスポーツであることも忘れてはいけない。
スコアを見直す、あるいは映像を見る。客観的に見れば、勝負のヒントは別のところにあるかもしれない。それを探るのもまた面白い!
(文・写真=松倉 雄太)