松山商vs松山工
悩める名門に明かりを灯した1年生右腕
松山商・啓田 勇貴
それは一糸乱れぬ統率力と機敏さを誇る松山商業硬式野球部を知る者にとっては信じられない光景だった。スタンドへの挨拶を終えた重澤和史監督以下、選手・スタッフたち。そこから監督を囲むミーティングに移るまでには20秒ほどの「何もしない時間」が存在したのだ。
旧チームを振り返れば、昨秋は準々決勝で済美・安樂智大(当時1年)に対し、夏に続き4安打10三振で完封を喫し、今春県大会も準々決勝で今治西に0対8で8回コールド負け。そして最後の夏も3回戦で宇和島東にサヨナラ負け。個人にスポットを当てれば[stadium]坊ちゃんスタジアム[/stadium]で2ホームランを放った武市 司三塁手(3年)の急成長など明るい側面もあったが、チームにとっては苦難の一年だったと言えよう。
そして新チームも中予地区新人戦では準々決勝で松山聖陵に7回までの6失点を跳ね返せず5対6と惜敗。試合前のみならず、試合序盤も励ましの声を常にチームメイトに発する松山工業ベンチに対し、グラウンドで起こったことに対して反応の声を出すのみの松山商業ベンチ。そこには「悩める名門」の姿が明らかにみてとれた。
そんなチームを救ったのが公式戦初先発の1年生右腕・啓田 勇貴(176センチ62キロ・右投右打)である。松山プリンスクラブボーイズ(現:愛媛松山ボーイズ)時代は済美において1年生で唯一甲子園ベンチ入りを果たした福島 弘樹と鉄壁の二遊間を形成。第4回少年硬式野球四国選手権では同チームの2連覇に大きく貢献した野球センスは、高校のマウンド上でも健在。
球速は体感130キロ前後ながらストレート、横と縦のスライダーは低目をほとんど外さず、「自分が抑えて守備からリズムを作っていく」意識は、井上 明(明大→朝日新聞元記者)、新田 浩貴(元東芝野球部)、阿部 健太(現:東京ヤクルト)などが引き継いできた「松商エース」の系譜を継ぐもの。加えて「元気出せ!」と投手のみならずグラウンド上の雰囲気を見て鼓舞を続けた強肩4番・井上 和哉捕手(2年)とのコンビも抜群であった。
同タイプの松山工業エース・天野 恭司郎(2年)との我慢比べを制し、6対0で初戦をモノにした松山商業。その殊勲者が88球2奪三振1与四死球1安打完封の啓田であることは誰もが認めるところであろう。
「最近の練習試合でもゲームを作ってくれていた。これで自信を付けてくれればいいが、あとは2年生がいかに踏ん張るかです」と試合後には啓田を讃えつつ、次戦以降の課題を述べた重澤監督。この日バッテリーが身をもって示した悩みの解決法が伝播すれば、冒頭に敢えて記したシーンが繰り返されることはもうないはずだ。
(文=寺下友徳)