岩倉vs拓大一
最後まで粘りの投球を見せた岩倉の石澤君
満身創痍の岩倉、強風下の辛抱戦を何とか制する
84年春にはPL学園を下して全国制覇を果たしているものの、その後は凋落。それでも97年夏に現在の磯口洋成監督が甲子園に導き、01年夏も東東京大会決勝まで進んだ実績のある岩倉。
しかし、多くのファンにとってはセンバツ優勝の「一発屋」の印象が強いのは否めない。そんな岩倉だが、昨夏の東東京大会はベスト4に進出し、これを切っ掛けに安定した力を維持していかれるチームにしていこうというのは磯口監督はじめスタッフの思いでもある。
その感触をかなり得てきたところで、バッテリーなど中心選手に故障での戦線離脱や長期休養が相次いで、この春は必ずしも万全ではなく、むしろ満身創痍の状態で大会を迎えることになってしまった。
そんな中、エースナンバーを背負って先発した石澤君はいい球も持っているのだが、経験値が少ないのと、それ以上に「いい子過ぎて、相手に対して向かっていけない」という。
そんな、磯口監督の心配が立ち上がりに出てしまい、初回は0にこそ抑えたものの先頭に安打を許している。そして、2回にも安打とバント失策で無死一、二塁としてしまう。三塁駒場君の好守もあって二死一、二塁までこらえたものの、1番小野君にセンター前にはじき返され、これがグラブをかすめる安打となり二塁走者が還って拓大一が先制した。
岩倉は、1~3回まで毎回先頭打者を出しながら得点に至らず、ベンチとしてもややイライラする展開だったようだ。そして迎えた5回相手悪送球で出た走者をバントでは送れないながらも当たりそこないの内野ゴロで進めて、二死二塁から駒場君のレフト前ヒットで何とか同点とした。なおも、森山君もレフト前ヒットで続き、送球が乱れる間に本塁を狙ったが、ここは本塁アウト。結局、同点止まりとなった。
それでも、回が進んで投げ込んでいくうちに石澤君も落ち着いてきて3~6回は無安打に抑え、7回には竹内暁君に安打されるものの、投直を好捕するなどで切り抜けた。
そしてその裏、岩倉は失策とバントフィルダースチョイス(野選)で一死一、二塁。ここでラン&ヒットを仕掛け2番酒井君が三遊間を破り勝ち越した。この1点差を石澤君は何とか守って逃げ切った。
拓大一・竹内暁君
試合後、長いミーティングを終えて磯口監督は、「みっともない試合だったでしょう」と一言。「メンバーも入れ替わっていることもありますけれど、バントが送れない、ここというところで(安打が)出ないということで、こんな試合になってしまいました」と、厳しい表情だった。
それでも、シード権を獲得したことについて触れると、「そうですね、それはホッとしました」と、初めて白い歯を見せた。
強風で、時に砂塵も舞うという悪コンディションだったが、2度の失点がいずれも送球ミスからのものとなってしまった拓大一。
「風がどうのこうのということはなかったと思います。それで変なプレーが出たということはなかったですから。ただ、春はウチの場合はどうしても学校行事との絡みで背番号とポジションも合わないような状態になっています」と、西川晃平監督は、ブロック予選から本大会までチームの調整が必ずしも万全という形ではなかったということをいささか残念がっていた。
それでも、背番号10を着けた左腕竹内暁君は大きなカーブが有効で、失策絡みで2点を失ったものの、この風の中で、時に投球が中断しても、自分のリズムを崩すことなく、しっかりと投げ切ったことは評価されていいだろう。
そういう意味では、お互いに辛抱戦でもあったともいえよう。
(文=手束仁)