総体中止で涙。部活生への救済案は、来年も高校3年生としてやり直せる?【今、記者が思うこと】
史上初の中止となった総体が歩んできた歴史
新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、ついに、この夏の全国高校総合体育大会(通称インターハイ、高校総体)の中止が発表されてしまった。何も戦わずして引退を余儀なくされることになる3年生にとっての無念さ、悔しさはどれほどかと思うと、心が痛む。
ここで少し、高校総体の開催の流れをおさらいしてみよう。
高校総体は、東京オリンピックの前年1963(昭和38)年に新潟県で最初の高校競技の統合大会として開催されている。ちなみに、翌年は愛知県で開催されている。それまでも、競技別の高校選手権大会は開催されていたが、それぞれ開催時期が異なっていたり、開催場所も別々だった。
それを一括して総合体育大会としていこうという流れになったのは、東京オリンピックの開催もあって総合体育大会の機運が盛り上がってきたのではないかと察せられる。
また、全国大会として統一していくということで、都道府県対抗の意識もより高まっていく。この発想は、高校野球大会が毎年盛り上がっていることも参考としたという説もある。そして、8月の全国大会を目指しての都道府県単位の総体予選(通称県総体)は主として4月から開催されていくことになる。
それが、今年はそれぞれの県単位の県総体そのものがすでに開催できなくなってきていた。だから、全国高校総体の開催は代表校の選出を含めて危ぶまれていた。それが現実となってしまったということである。
本来ならば、今年は群馬県をメイン会場として北関東総体という形だった。ただ、今年に限っては、東京オリンピック・パラリンピック開催ということもあって、さらに分散して東北から九州まで、21府県をまたいでの開催という予定になっていた。もっとも、東京オリンピック・パラリンピックそのものが延期となってしまっていた。
来年の2021年の高校総体は福井県を中心として北信越総体という予定になっているのだが、東京オリンピック・パラリンピックの1年延期でどういう開催スタイルになるのかはわからない。
ところで、高校総体の開催は当初の基本としては都道府県単位での持ち回りだった。それが2004(平成16)年からは、複数県にわたる地域開催が原則となってきている。例えば2018年は東海地区での開催となったが、開会式と陸上競技の開催される三重県をメインとしながらもバスケットボールは愛知県、バレーボール、ホッケーなどは岐阜県、相撲競技、自転車競技などは静岡県と、東海4県に振り分けられていた。
なお、ラグビーと駅伝に関しては年末年始に東大阪市花園ラグビー場と京都市の都大路と西京極陸上競技場が固定されている。今年これらの競技がどうなるのかということはまだ発表されていない。
[page_break:強引でも検討したい、1つの提案]強引でも検討したい、1つの提案
また、今春はすべてが中止になってしまったけれども、毎年3月から4月上旬にかけて競技別に開催されている全国高校選抜大会は、1970年度から全国高校体育連盟管轄となっている。この「選抜」という呼称を冠したのはやはり高校野球を模したものであろう。
もっとも、競技ごとに独自のスポンサーがついていたり、バスケットボール(ウィンターカップ)やバレーボール(春の高校バレー)のように、開催時期が年末年始に移行した競技もある。バレーボールは、移行を機に「選抜」の呼称をなくしインターハイとは別に「全日本選手権大会」としている。
仮に、6月頃に収束の目途がついたとしたら、ラグビーや駅伝は予選開催も可能となる。全国高校サッカーも開催可能となろう。また、前記のバスケットボール、バレーボールも3年生にとっての最後の舞台は何とか確保されるという形にはなる。
もっとも、甲子園の高校野球をこの時期までズレ込ませるという案は、諸条件の調整も含めて、やはり無理がある。
いずれにしても、この夏の高校総体が中止になったということで、これはスポーツ進学や卒業後にスポーツでの次のステージを目指していた選手たちにとって、アピールする場がなくなってしまったということは確かだ。
全国規模の競技大会として10月に鹿児島県で予定されている国民体育大会がどうなるのかということはまだ発表されていないが、今後の動向でどうなっていくのかは見えない。そして、夏の全国高校野球大会に関しても、今回の高校総体の中止が何らかの影響を与えるということは否めないだろう。
中止が正式発表されたということで、大会を目指してここまで練習を積んできた選手たちの気持ちの整理は非常に難しいところであろう。そんな選手たちの思いに対して、指導者たちがどんな言葉をかけてあげるのがいいのか。今、改めて言葉の大切さを認識しながら、一言一言の言葉を丁寧に伝えていってあげて戴きたいと思っている。
また、こうして何らかの形でスポーツの楽しさ、面白さを伝えているメディアの端くれの人間としても、一つひとつの表現に配慮しながら、伝えていかなくてはいけないだろうなとも思っている。
最後に、これはいささか強引な発想だという前提としての提案である。
もし実施するとしたら、文部科学省も含めての検討事項となるであろうが、2020年そのものが学校としてなかったことにするという発想だ。つまり、全学年、全員留年としてやり直すという考え方である。
ただし、この場合に一番の問題となるのは、来年の小学校入学世代だけがダブってしまうことだ。その年代のみが、通常の倍の生徒が溢れるということになる。だけど、そうと決めれば、1年じっくりと回復を待ちながら、対策を練ることは可能ではないかと思う。実現できるかどうかはともかくとして、検討してみてはいかかだろうか。
(記事=手束 仁)
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