野球後進県だった沖縄はいかにして強豪県に成長したのか?
1999年、選抜高等学校野球大会で沖縄尚学高校が初優勝。その後、2008年に沖縄尚学高校が二度目のV。その僅か2年後の2010年、興南高校が史上6校目となる甲子園春夏連覇を達成。「沖縄の高校は強い」と、全国に知らしめた。
改めて沖縄の高校野球が、どのように強さを増していったのか。県民悲願だった甲子園での優勝。その後は。
一方で2015年以降、甲子園で勝てなくなった理由など。高校の先生たちの意見も載せつつ、沖縄県高校野球史を振り返ってみたいと思う。
野球後進県だった頃の沖縄
全国レベルの強豪・興南
初めは球場らしい球場も無かった。バックネットも、似たもので何とかしてプレーが開始された。観客席などあるはずもなく、土手に上ってみんな見ていたよ。昔の沖縄を知る高校野球の先生から教えてもらった。
段々と形になってきたが、南九州優勝野球大会(大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県と沖縄県)では、沖縄県が一度も決勝へ進むことはなかった。
そんなとき故佐伯氏(後の日本高野連会長)が、主導で強いチームを率いて沖縄にやってきた。もちろん勝てはしないが、全国の野球レベルはこういうものということを知って欲しいという親心だったと、別の高校野球の先生は語ってくれた。
戦後、米国統治下に置かれた沖縄県は九州大会に出場することが出来なくなる。しかし1959年、琉球政府の沖縄として宮崎県、鹿児島県と争う全国高等学校野球選手権南九州大会に出場。翌年、鹿児島県が一県一代表枠に入り脱退。1974年まで宮崎県vs沖縄県の勝者が甲子園出場枠を得る戦いとなっていく。
沖縄県が初めて南九州大会で優勝したのは1962年。沖縄高校が大淀高校を下し、初めて自力で甲子園出場を叶える。エース安仁屋宗八は広島カープと阪神タイガースで119勝する大投手になった。
それまでは、首里高校などが甲子園に出場したが、記念大会での特別枠参加。そこにも故佐伯氏の尽力が沖縄県にあったと、高校野球の先生が教えてくれた。
「佐伯天皇なんて呼ばれていたらしいが、沖縄の野球界にとってこれほどの恩人はいないよ。」
戦争を喜んでいなかった佐伯氏だったからこそ、上陸戦で大変な目にあった沖縄を心にかけていたのかも知れない。
興南旋風、赤嶺賢勇らヒーローの登場
興南の我喜屋優監督
甲子園での惨敗が続いていた沖縄県に一筋の光が刺したのは1968年。現興南高校監督の我喜屋氏が選手で主将を務めたチームがベスト4入りした。「興南旋風」と呼ばれ、県民はテレビに釘付けになった。
その興南高校のあとを豊見城高校が継ぐ。1974年の選抜高等学校野球大会に出場すると、全国高等学校野球選手権大会でベスト8に3度も入った。
エース赤嶺賢勇は巨人軍へ入団。甲子園のヒーローが球界の盟主である巨人へ。野球をする子供たちの憧れとなった。さらに同じ豊見城高校で、赤嶺の下でその打棒を炸裂させた石嶺和彦氏が阪急ブレーブスへ。日本政府復帰後の沖縄県で、野球が最も盛んになっていった。
沖縄に自信を与えた栽弘義氏
その豊見城高校で指揮を執っていたのが故栽弘義監督。3度の甲子園ベスト8を引っさげて1980年に沖縄水産高校へ赴任。しかし最大のライバルが興南高校にいた。比屋根吉信監督だ。
野球王国の兵庫県からやってきた比屋根氏は、沖縄に新しい風を吹き込む。1980年から83年まで夏の選手権沖縄大会四連覇。仲田幸司(阪神)などプロも多く輩出していく。打倒興南に燃える沖縄水産高校がその牙城を崩したのは1984年。その翌年、彗星の如く現れた上原晃(中日)氏が3年連続で甲子園に出場するも、最後の最後で本土勢の粘りの前に屈してしまう。ひいき目に見ても、まだこの時代までの沖縄県は野球後進県だったであろう。
その重い扉を開いたのもやはり栽監督だった。
1990年、右腕神谷善治と新里紹也(ダイエー)ら全国レベルの打者に、一つ下の大野倫(巨人)らで臨んだ沖縄水産高校。初戦を突破するとあれよあれよと言う間に勝ち進む。準決勝はこれまで県勢が何度も辛酸を舐めさせられてきた広島県代表(それまで春夏合わせ1勝4敗。1勝も延長戦での1点差辛勝)の山陽高校が相手。この試合6-1と快勝し県勢初の決勝へ進んだ。
急遽、当時の西銘知事が甲子園へ駆け付けたほどの熱気に包まれた奈良県天理高校戦で今でもかたりつがれるのが、9回のレフト線への当たりであろう。
筆者もテレビを通して観ており、あの打球を見ていた周りの人たちと共に「ヨッシャー!同点!」と一喜し、直後に捕球され一憂したのを忘れることは出来ない。そのくらい、県民みんな悔しかった一球だ。
(文=當山 雅通)
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