楽天の若きエース・早川隆久が覚醒の予感!高校1年の打撃投手から始まったプロ入りへの道【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.15』】
早稲田大時代の早川隆久
皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋です!
プロ野球が開幕し、連日熱い戦いが繰り広げられています。今回は、楽天のエース左腕・早川 隆久投手を取り上げていきたいと思います。
プロ1年目からローテーション入りし、3年間でNPB通算20勝。4月12日のロッテ戦で今季初勝利を挙げました。早川投手は木更津総合時代、15年春、16年春夏と3度の甲子園に出場しています。当時の早川投手はまさに難攻不落の存在。千葉県の高校野球史に残る活躍を見せてくれました。
天性の打ちにくさを持っていた早川
早川投手の高校デビューは1年秋。最初の印象は、「テイクバックは小さいけれど、結構出力が高い投手」。すでに130キロ中盤の速球を投げ込んでいて、いきなり腕が出てくるので、対戦した打者はことごとく差し込まれていました。
そんな早川投手は入学当初、ヒジの怪我のため、投手から外野手に転向。再転向するきっかけとなったのは、夏の千葉大会を前にチームの左投手対策としてバッティングピッチャーを務めた時のことでした。
「専大松戸の左投手対策で、自分がバッティングピッチャーを務めたのですが、その時、当時の3年生から空振りが取れて、自分の中で『いける』という感じがしたんです」
この出来事がきっかけで、新チームが結成された8月に早川投手はある行動に出ます。
「自分は頻繁にボールを触りたい人なので、ボールが飛んでこないとつまらないんですよね。それで、ピッチャーをやりたいなと思って、監督さんに『投げさせてください』と言いに行ったんです。そうしたら、次の日から1、2イニング投げる機会を与えられて、またピッチャーをやらせてもらえるようになったんです」
この当時のことを五島 卓道監督もよく覚えていました。
「最初にバッティングピッチャーをやらせた時、昨年のチームの3年生で主軸だった左打者が空振りするんですよ。その頃は早川がそんなに良いボールを投げるとは思っていませんでしたから、『1年生の球に振り遅れるんじゃないよ』って言っていたんです」
だが、早川のボールを空振りしてしまうのには、きちんとした理由がありました。
「バッターがタイミングを取りづらいんですよね。ちょっと腕が遅れて出てくるところがあって、ステップした後、普通の投手だったらもうボールを投げているタイミングでも、早川はまだボールを持っていてリリースしていない。だから、打席に立った昨年の3年生はみんな口を揃えて『打ちづらい、打ちづらい』と言っていました」(五島監督)
腕が遅れて出てくる投球フォームについては、本人はこう語っていました。
「自分としてはテイクバックを小さくとることを意識しているだけで、別に腕を遅らせている訳ではないんです。自分が大事にするのは体重移動。股関節にうまく体重が乗るように意識して投げると、最初は軸足に、最後のフィニッシュではステップした足の方にしっかりと体重が乗るんです。逆に股関節にちゃんと乗っていないとフィニッシュがバラバラになってボールにもバラつきが出てしまうので、ブルペンでも確認しながら投げています」
この投球フォームで早川投手は1年秋、36イニングを投げて無失点。3試合連続の完封を成し遂げるなど、まさに衝撃的なデビューを飾りました。高校では3年のセンバツで、大阪桐蔭を破りました。準々決勝の秀岳館戦では完封寸前から逆転されてしまいましたが、それまで強打を発揮していた秀岳館打線を完璧に抑えたことでより評価を高めました。そして夏の甲子園でも唐津商、広島新庄に完封勝利を挙げ、ベスト8進出。高校生を代表する左腕にふさわしい実績を残しました。
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