2度の奇跡を起こした城北(東京)の原動力『楽しむ野球』に注目!
夏の独自大会も秋季都大会も上位に進出したわけではない。けれども強く印象に残っているチームがいくつかある。
中でも、夏と秋に奇跡を起こした城北を、一押しチームとして紹介したい。
秋の公式戦4試合で得点41、失点36
都立小山台を破った城北
夏の独自大会で番狂わせであったのは、東東京大会の2回戦で城北が、2年連続準優勝の都立小山台を破った一戦だった。
この大会は、試合ごとにベンチ入りメンバーの入れ替えが可能だった。2回戦の先発は、この試合から登録された2年生の島田 開斗だった。島田はスローボールを巧みに使い試合を作り、3年生のエース・中村 陽紀につなぎ、2対1で逃げ切った。
3回戦は、巨人にドラフト5位で指名された二松学舎大附の秋広 優人に3安打に抑えられたが、強い印象を残した。
夏はロースコアのゲームを守り切ったが、秋は、全く違う野球で驚かせた。
秋季都大会の1回戦は、前年の夏の西東京大会優勝校の国学院久我山だった。雨中の試合は、7回表に国学院久我山が8点を入れ、16対4の12点差。コールド負けは目前だった。しかし国学院久我山はエースに代わり、控え投手をマウンドに送る。そこから城北の猛攻が始まり、7回裏に10点、8回裏に4点を入れ、18対17と奇跡の大逆転勝ちを成し遂げた。
城北は1次予選の都立足立西戦でも3回裏に8点を入れられたが、4回表に8点を入れて逆転勝ちしている。秋は公式戦4試合で得点41、失点36という大荒れの試合をしている。
アメリカで学んだ楽しむ野球が奇跡を起こす
たとえリードされても、めげずに逆転できるのはなぜか。門多元監督は、早大学院の出身だ。早稲田実の斎藤 佑樹(日本ハム)とは同世代になる。大学は早稲田大学の国際教養学部に進んだ。在学中にアメリカに留学し、当地の大学でコーチ研修をする機会を得た。そこで楽しんでやる野球に接する。「それを持ち帰り、指導者になった時に、そういう環境を作ってあげたい」と心に決める。
早稲田大学は大学院まで進み、卒業後は多摩大聖ヶ丘などの勤務を経て、2年前から城北の監督に就任している。
野球を楽しむという姿勢は、練習でも試合でも変わりはない。国学院久我山に12点リードされた後も同じだった。「僕が滅入っちゃうと、彼らも下を向く」と語る門多監督は、明るく励ました。「批判もあるかもしれませんが……」と断りつつも、監督自らガッツポーズもした。その雰囲気が、奇跡を起こした。
[page_break:練習は部員の自主性を重視]練習は部員の自主性を重視
エースの島田開斗
城北は有数の進学校である。東大野球部2年生の伊藤 和人もOBだ。部員たちは中学生の時に、伊藤が誰よりも練習している姿を見ている。
練習は授業が終わった午後3時半ごろから6時まで。そこから夜8時まで学校の自習室で勉強する。「勉強も一つのリズムになっている」と門多監督は語る。
練習は部員の自主性を尊重する。監督はアドバイスをしたり、提案をしたりすることはあっても、「前向きな野球をしている以上は、あまりケチはつけません」と言うように、押し付けることはしない。
コロナ禍で休校になり、練習も自粛となったが、日ごろから自分で考えて練習してきた生徒たちは、自分で課題を見つけて取り組んできた。そのこともまた、夏や秋のミラクルの要因となっている。
とはいえ、真のトップレベルとチームとは、まだはっきりとした差がある。秋季都大会2回戦の関東一戦では、新エースの島田が、思い切り緩急をつけた投球で、関東一打線を苦しめたが、5-0。点数以上の力の差があった試合だった。関東一の市川 祐に、4番・加藤 大祐が1人2安打と気を吐いたものの、4安打、三振10の完封負けであった。
大西 創志主将が「この冬、一段階レベルアップして強豪校に勝ちに行く準備をしたいです」と言い、エースの島田は、「冬のトレーニングでしっかり体を作って、強豪校に負けないようにしたいです」言う。
目的意識はしっかりしている。まずは春季大会でベスト16以上の成績を残し、夏のシード校になることだ。秋と違い、春季大会の序盤は試合間隔も短く、それだけ体力や層の厚さが求められる。しっかり基礎を築いたうえで、3度目の奇跡を起こすことができるか。奇跡が3回続けば、もはや奇跡ではなくなる。
(記事:大島 裕史)
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