「最後まで競い合う」岩倉は、夏の甲子園へ向かう戦いと同じ意識で戦える覚悟を個々に確認
岩倉の心構えとは
学校は上野駅すぐそばにあり、グラウンドと寮は西東京市でJR武蔵境駅から徒歩15分ほどのところにある岩倉。選手たちの日々の生活では、移動距離が長いだけに、学校としても今回のコロナ騒動に対しての対応は慎重だった。さらに、クラスターが発生した永寿病院にも比較的近かったということも、慎重にならざるを得ない要素となった。
今回のコロナ対策としては、2月28日に政府から発せられた休校要請に応じて学校は休校となり、寮も29日からは閉鎖ということで対応した。その後は、継続する自粛要請の中で、新学期の開始もままならないまま過ぎていく。6月1日になって、やっと学校が再開されていくのだが、寮生の中でも愛知県、三重県、長野県など都外からの生徒は、1日に通学のために寮に戻っていた。
スポーツクラスは、6日に集まったので、実質はそこから寮の再開ということになった。部活動再開は6月も2週目の8日からということになり、グラウンドに選手たちが戻ってきた。グラウンドは、休校期間中にも、豊田監督が入念に手入れし整備をしていたので、すぐに活用することは出来た。
再開後、最初に集まった時に豊田浩之監督は、活動へ向けての心構えを再確認した。
「夏の大会は中止になってしまったけれど、都高野連の先生方が尽力してくださって大会は開催出来ることになっているけれど、コロナ感染者が出てしまったら大会そのものがダメになる可能性もある。だから、それぞれが自分の行動にはこれまで以上に責任を持っていくようにしなさい」
そして、東京都高野連が開催してくれることになった代替大会への意識としても、従来の夏の選手権への戦いと同じように、まずは全メンバーで大会のベンチ入りを競い合うところから始めようということを伝えた。
「(代替大会は)3年生のための大会ということになっているけれども、ベンチ入りに関しては、今までの夏の大会と同じようにも実力で選んでいく。ベンチ入りを勝ち取るということは、そんなに簡単なモノじゃないんだから、最後まで競い合ってベンチ入りを目指して頑張っていこう」
こうしたチームとしての意識は、それ以前にもメールなどで伝えているので、意識に対してのブレはないと信じている。それを全員が集まった際に、選手たちの表情を確認しながらミーティングで話した。
甲子園を目指す戦いではなくなったけれども、東京都の場合は、神宮球場というもう一つの学生野球の聖地で戦うことは出来る。だから、そのことも大事に思いながら与えられた時間の中で精いっぱいやっていこうということも伝えた。
「ウチの場合は、ずば抜けた素質の選手がいるというワケではありません。毎年そうですけれども、秋から冬の練習もトレーニングなどを経て、春の試合でどこまで伸びていけたかということを確認しながら積み上げていくチームです。そして、夏へ向けてさらにプレッシャーをかけていきながら強化としていくというスタイルです」
つまり、コツコツと時間をかけて地道にチーム作りをして行くという姿勢である。それだけに、最も伸びていかれることを実感できる期間に活動そのものが停止していたことは非常に痛いというのは正直なところである。
豊田監督は、そのことに関して、いかに取り戻していくのかということに頭を悩ます。
「例年ですと、この時期には敢えて選手たちにも厳しく当たっていって、『悔しさは、野球で取り返せ』ということは言っていたのですが、今年はそれすらも得ないのではないかと心配もしていました。それでも、1カ月という少ない時間ですけれども、この間に失われた3カ月を取り戻していくために頑張っていってほしいです。ただ、私たち指導者は、来年もありますけれども、選手たちは1回きりだけしかありません。だから、上手に寄り添っていってあげなくてはいけないと思っています」
そして、「こうした危機を乗り越えていった中での、生徒たちの心的な成長もしっかり見守っていってあげたい」という思いも語ってくれた。
(記事=手束 仁)
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