投手復帰2年目で叩き出した「左腕150キロ」園田 龍矢(伯和ビクトリーズ・投手)
10月17日(木)に東京都内のホテルで開催される「プロ野球ドラフト会議 supported byリポビタンD」。日本野球最高峰NPBへの扉を開けるべく、今年も数多くの若者たちが「ドラフト候補」の称号を手に歓喜の時を待っている。
特にドラフト1位が有力視されている最速151キロ左腕・河野 竜生(JFE西日本)をはじめ、中国地区の社会人チームには有望選手が多数存在。今回はその中から2名のインタビューをお届けする。報徳学園(兵庫)卒3年目・JR西日本の50メートル走5秒8・遠投120メートルを誇る外野手・佐藤 直樹に続く2人目は一昨年までは外野手も、今年九州学院(熊本)高1年以来となる投手復帰2年目で最速150キロをマークした左腕・園田 龍矢(そのだ たつや・左投左打・174センチ83キロ)。
今回は現在プロに進んでいる選手たちとの関わりも交えながら投手転向まで、投手転向後の変化を中心にきいた。
甲子園では阪神タイガースに所属する「あの」選手と……

園田 龍矢(関メディベースボール学院から移籍1年目・投手)
―― 園田投手は熊本県熊本市出身。1995年2月8日の早生まれになりますが、まずは野球を始めたきっかけを教えてください。
園田 龍矢 投手(以下、園田) 熊本市立植木小4年の時、友だちに誘われて植木少年野球クラブ(軟式)に入りました。それまではサッカーや柔道をしていたんですが、5人きょうだいの4人目までがみんな決められたように柔道をしていたので、いやいや柔道をしながら反抗して(笑)球技系をしていたら、友だちの誘いがいいところにあった感じです。ここから熊本市立五領中まで投手と外野手を兼任していました。
―― 高校は地元の強豪・九州学院へ。同期にはプロに進んだ選手もいますね。
園田 同期は大塚(尚仁・東北楽天ゴールデンイーグルス~現:読売ジャイアンツ打撃投手)、溝脇(隼人・中日ドラゴンズ)です。
―― 九州学院では野手に転向し3年春にセンバツに出場。園田選手は大阪桐蔭戦で1学年下の島田 海吏(上武大~阪神タイガース)の代打として登場しました。
園田 藤浪(晋太郎・阪神タイガース)と対戦しましたが、藤浪は2メートル以上の高さから投げてくるので近い距離から投げられている感じがして速かったのを覚えています。
最後の夏も熊本大会1週間前までは背番号「3」をもらっていたのに、鳥栖高校との練習試合で僕の成績が悪くて、ライバルはエラーで出塁。「運を持っているから」ということで最後までレギュラーにはなれませんでした。
―― 大学は徳山大、最終学年では4番・中堅手としてベストナインも獲得しました。
園田 大学4年から4番を打たせてもらいました。大学卒業時にはもう少し野球へどん欲に取り組みたい想いがあったので、親にもわがままを言って関メディベースボール学院へ進学させてもらいました。
突然の投手復帰と急成長、そして伯和ビクトリーズへ

園田 龍矢(関メディベースボール学院から移籍1年目・投手)
―― 今お話をされた通り球歴をたどってきた園田選手ですが、なぜ関メディベースボール学院で投手復帰することになったのですか?
園田 1年生の秋前(2017年)、学校の代表をされている井戸 伸年さん(元近鉄バファローズ)から「ちょっとピッチャーやってみろ」と言われたんです。最初はブルペンでの立ち投げ程度かな、と思ったら「思い切り放れ!」と指示があったので、そこで投げたら井戸さんが思っていた以上の球速が出ていたみたいで。そこから投手のチャンスを頂いて今がある形です。
ただ、野手をしていても投手へのあこがれはずっともっていましたし、その時は同学年の近本 光司(現・阪神タイガース)がいた大阪ガスやパナソニックといった名門チームの野手を見て「実力の差が僕とはすごくある。特別長打を打てるわけでもなく、走力があるわけでもない僕はこのままではプロに入る希望がない」と心も落ちていたいたので。投手として光を当ててくれたことを本当にありがたく思っています。
―― ちなみにブルペンで投げた時の球速は?
園田 146キロでした。試合では最初のオープン戦登板・2017年9月19日、[stadium]岡山市営球場[/stadium]での読売ジャイアンツ3軍との交流戦で指名打者で先発してから坂口 真規さん(引退)相手にワンポイントで投げて143キロ(ショートフライ)。この時はまだ自信が持てなかったんですが、翌年、大阪ガス相手の都市対抗近畿二次予選では公式戦のマウンドで146キロが出ました。
――ただ、2018年は「ドラフト隠し玉」にも名前があがっていましたが、指名はなし。卒業が控えている中、進路はどうしようと思いましたか?
園田 もちろん、プロに行きたい気持ちはありましたが昨年は縁がなかったので、企業チームを探しました。その中で伯和ビクトリーズの東 賢孝監督(現:総監督)に拾って頂いたんです。もし決まらなければ野球を辞めないといけないくらい押し迫っていたので「これでもう1回チャンスがある」とホッとしたのを覚えています。
伯和ビクトリーズでの刺激と学び活かし「チームを勝たせる」リリーバーへ

園田 龍矢(関メディベースボール学院から移籍1年目・投手)
――昨年度で関メディベースボール学院を卒業した園田投手。同校は社会人野球登録でしたので、登録上は伯和ビクトリーズへの円満移籍という形で広島県東広島市での新たな生活が始まりました。
ここではドラフト候補にあがっている最速146キロ左腕・平岡 航投手(鴨沂高~京都学園大卒2年)をはじめ、各方面から多くの刺激をもらっているようですね?
園田 入社した時から平岡が一番いい投手だということは聞いていたましたし、いろいろと教えてもらいました。また、川野 友耀コーチとは自分から会話を増やしていくことで、靴紐を結ぶ時から後ろ体重を意識して結ぶことなど勉強になることが多くありました。これを心がけることで実際に球速も上がりましたし、制球力もよくなったんです。今取り組んでいることは正解だと思いました。
―― 結果、6月の都市対抗中国地区予選では150キロの大台に乗り、JFE西日本の補強選手として都市対抗初登板も果たしました。
園田 150キロが出たのは光シーガルズ戦の9回です。また。JFE西日本では河野(竜生)からはカーブ、中川(一斗)からはチェンジアップの考え方を学びましたし、川﨑 正昭コーチからは自分の意見を尊重しつつ、違った投球の視点を教えてもらって球質も低めへ伸びるようになりました。
都市対抗では結果はよくなかったですが、満塁になってからしっかり振れるようになったことはよかったと思います。その反面、まだ自分に足りない部分や上げなくてはいけない部分も感じました。
――その経験を受けて、今後目指したい投手像はありますか?
園田 もしプロに進めば恐らくリリーフだと思うので、周りからも評価して頂いているしっかり腕を振るスタイルはそのままに、トヨタ自動車の佐竹 功年さんのような腕が身体から離れないような投手を目指したい。チームを勝たせる投手になりたいです。
(取材=寺下 友徳)