高校野球が頂点?小さな島国からプロ野球選手を輩出し続ける沖縄の野球vol.1
2017年、東浜巨(沖縄尚学-亜細亜大-ソフトバンク)が16勝を挙げ最多勝に輝いた。そして翌2018年、山川穂高(中部商-富士大-西武)が本塁打王、多和田真三郎(中部商-富士大-西武)が最多勝に輝き、沖縄出身選手がプロ野球界を席捲している。この小さな島国から何故、プロの世界で活躍出来る選手が生まれるのだろうか。色々な視点からひも解いてみようと思う。
沖縄出身の現役プロ選手
山川穂高(中部商-富士大-西武)
まずは現役のプロ選手をざっと挙げてみよう
宮國椋丞(糸満-巨人)
大城卓三(東海大相模-東海大-NTT西日本-巨人)
與那原大剛(普天間-巨人)
嶺井博希(沖縄尚学-亜細亜大-横浜DeNA)
平良拳太郎(北山-巨人-横浜DeNA)
神里和毅(糸満-中央大-日本生命-横浜DeNA)
宮城滝太(滋賀学園-横浜DeNA)
又吉克樹(西原-環太平洋大-香川オリーブガイナーズ-中日)
屋宜照悟(中部商-国士舘大-JX-ENEOS-北海道日本ハム-東京ヤクルト)
嘉弥真真也(八重山農-ビッグ開発-JX-ENEOS-福岡ソフトバンク)
東浜巨(沖縄尚学-亜細亜大-ソ福岡フトバンク)
島袋洋奨(興南-中央大-福岡ソフトバンク※現育成)
砂川リチャード(沖縄尚学-福岡ソフトバンク※現育成)
國場翼(具志川-第一工業大-埼玉西武)
山川穂高(中部商-富士大-埼玉西武)
多和田真三郎(中部商-富士大-埼玉西武)
平良海馬(八重山商工-埼玉西武)
與座海人(沖縄尚学-岐阜経済大-埼玉西武)
島井寛人(西原-ビッグ開発-熊本ゴールデンラークス-東北楽天)
比嘉幹貴(コザ-国際武道大-日立製作所-オリックス)
大城滉二(興南-立教大-オリックス)
宜保翔(KBC学園未来沖縄-オリックス)
比屋根彰人(飛龍-オリックス)
上原健太(広陵-明治大-北海道日本ハム)
大嶺裕太(八重山商工-千葉ロッテ)
伊志嶺翔大(沖縄尚学-東海大-千葉ロッテ)
もちろん全員が一軍ではないが、中学から他の県へ越境入学した選手も含め、沖縄出身のプロ野球選手数は少なくない。まずは中学からの他県への越境入学という部分を含めた学童っ子たちからの沖縄の野球を紹介してみる。
[page_break: 代々受け継がれるDNA]代々受け継がれるDNA
興南の選手たち
語弊を恐れずに言うが沖縄の野球界は、今をもって高校野球が頂点と考えられる。プロ野球チームがなく(今年、琉球ブルーオーシャンズ球団が設立される)、大学・社会人のチームも人を呼ぶわけではない。野球という真剣勝負とともにグラウンドで華やかに催される始球式やチアガール、花火といったエンターテイメント性に飢えていると言ってもいいだろうか。もちろん、高校野球がそのエンターテイメントを担っているとは言わないが、親にとってまだ「子」として純粋に応援出来る高校野球の舞台は、学童・中学から続く野球生活の中で一応の区切りをつけられるある意味「最後の」という意識が強いのが沖縄だ。その原点もやはり高校野球だ。
古くは1968年、夏の甲子園で興南がベスト4入り。勝ちあがるにつれ、県民皆がテレビにくぎ付けとなり道路から人の姿が消えていった「興南旋風」だ。そして赤嶺賢雄を擁した豊見城の3年連続ベスト8があり、仲田幸司らの興南を経て、沖縄水産の2年連続準優勝へと流れていく。克明に覚えているが、1990年の天理との決勝戦、あのレフト線への打球は「これで追い付いた!」とその場のテレビ前の人全員が歓声を上げたほどだ。
それでもあと一歩届かないのが全国優勝。その夢がかなったのが1999年春の選抜。比嘉公也(沖縄尚学監督)が投げ切ったPL学園との延長死闘は全ての野球ファンの脳裏に焼き付いた。沖縄があのPLに勝つまでになったのかと、いつまでも語り継がれる伝説となり決勝も快勝。甲子園でウェーブが巻き起こった映像は感動以外の何物でもなかった。県民の悲願を達成した20世紀最後。その年代に高校野球を経験してきた男たちが親となり、その熱いDNAを子に託し指導する学童軟式野球が沖縄の野球を支える底辺だ。
(取材・當山 雅通)
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