名門の総合力高き右腕・安藤岳(武蔵府中シニア) 悩みぬいた期間を大きな糧に
2010年からの9年間で10名のプロ野球選手が誕生した武蔵府中シニア。全国選抜野球大会、日本選手権、ジャイアンツカップの3つの全国大会すべてで優勝を飾るなど、名門として名を馳せている。
そんな武蔵府中シニアで、4番でありWエースの一角を担っていたのが安藤岳だ。直球は130キロ台後半を記録し、変化球のコマンド能力の高さも見せるなど総合力の高い投球が持ち味だ。
今回はそんな安藤に、武蔵府中シニアでの中学野球生活を振り返っていただいた。
山村崇嘉の姿から多くのことを学ぶ
安藤岳(武蔵府中シニア)
小学校時代はジャイアンツジュニアに所属していた安藤。当時のチームには、後にチームメイトとなる今野翔斗や東京城南ボーイズの今井海翔、ジャイアンツカップの決勝で本塁打を放った世田谷西シニアの富塚隼介など、レベルの高い選手が揃っていた。
セレクションを受けた際にも自信はなく、いざジャイアンツジュニアの一員に選ばれても安藤は不安が大きかったことを振り返る。
「セレクションを受けたときは、周りはみんなでかくて驚きました。正直、自身は無かったですね。
キャッチャーのみんなが毎回イニングごとに声かけてくれたり、大きく股を構えてくれたお陰で徐々に自信がついていきました」
そんな安藤が中学野球の舞台として選んだのが、リトルシニアの強豪・武蔵府中シニアであった。自宅から近く実績もあるチームだったため、元々興味を持っていたことを明かす安藤だが、入団の決め手になったのは、小泉隆幸監督からの一言であった。
「体験練習の際に、小泉監督から『日本一を経験してみないか』と言われ、その言葉で決めました」
ピッチングを行う安藤岳(武蔵府中シニア)
こうして武蔵府中シニアへの入団を決めた安藤だったが、いざチームに合流すると非常に刺激的な毎日が待っていた。
当時のチームには、中学野球界のスーパースターであった山村崇嘉(現東海大相模)が在籍しており、投手としても打者として安藤にとって学ぶべき点が非常に多かった。
「応援席から見ても、打っても投げても本当にすごかったです。コースに関係なく、タイミングが合えば全部ホームランになりますし、難しいボールでも合わせてヒットにしたりします。自分も、2年後はこうなりたいなと思いました」
レベルの高い環境に身を置いたことで、武蔵府中シニア入団後も安藤は順調に成長。
山村ら3年生が卒業した後には、2年生ながら投手陣の一角を担うまでになり、また打者としても非凡なセンスを見せる。8月にはリトルシニア日本選手権に出場し、ベスト4進出に大きく貢献した。
直球も変化球もレベルが高く、試合を作れるピッチャーに
安藤岳(武蔵府中シニア)
2年生にしてリトルシニア日本選手権で大きな活躍を見せ、順風満帆な中学野球生活を送っていたかに見えた安藤だったが、実はこのとき大きな悔しさを経験ていた。そしてその悔しさを引きずるように、ここから本来の姿を見失ってしまうことになったのだ。
「準決勝の静岡裾野シニア戦は、暑さで体力が無くなり終盤にバテてしまいました。試合が作れずに申し訳なかったですし、その後の秋の関東でもあまり結果が出す、そこから投げることが少なくなりました。今思えば、体が突っ込んでフォームが崩れていたと思います」
夏の敗戦、そして秋からの不調を踏まえ、安藤は普段の練習を見直すところから着手した。
早朝の走り込みやトレーニングに縄跳びを採り入れて体力面の向上を図り、またフォームの修正においても、投球練習をしない日にはシャドーピッチングに多く時間を割くなど日々創意工夫を持って練習に取り組んだ。
「朝走ったり縄跳びを飛ぶことで体力もついたと思いますし、下半身の安定にも繋がりました。シャドーピッチングも、体が突っ込まないように全国から帰ってきてからずっと取り組みました」
安藤岳(武蔵府中シニア)
発展途上であった春の全国選抜野球大会では登板こそ無かったが、その後は少しずつ本来の投球を試合でも見せるようになり、夏には満足のいく投球が出来るまでに調子を取り戻した。
日本選手権に繋がる予選では惜しくも世田谷西シニアに敗れ、最後の夏は全国への道は閉ざされたが、安藤は納得の出来る投球で中学野球生活を終えることができたと振り返る。
「終盤に登板したのですが、完全に勢いに飲み込まれてしましました。でもちゃんと投げられる状況ではあったので、高校野球ではそれ(相手の勢い)を逆に自分の力に変えていけるようなピッチャーになりたいと思います」
現在は、高校野球に向けて日々トレーニングを積んでいる安藤。
理想とする投手像は、「直球も変化球もレベルが高く、試合を作れるピッチャー」であることを明かし、高校野球での大きな目標を口にする。
「イメージしているのは、横浜高校の木下幹也投手や、プロ野球だと巨人の菅野智之投手です。球速も145キロくらいを投げて試合を作れるピッチャーになりたいですし、最終的にはプロに行きたいと思っています」
悩み抜いた経験は、将来への大きな糧になる。安藤はそう信じ、静かに高校野球への準備を進めている。
文=栗崎 祐太朗