「不易流行」高校野球で絶対に変えてはならないこと 平川敦(北海)vol.1
指導方針の根幹「不易流行」
平川敦監督
「不易流行(ふえきりゅうこう)」:「不易」とはいつまでも変わらないこと。「流行」とは時代々々に応じて変化すること。 平川 敦(ひらかわ・おさむ)監督(北海)の高校野球における座右の銘である。今回の連載コラムは、この言葉から始めたい。
平川監督は現役時代は北海の投手として活躍した。その後大学時代には母校のコーチを務め、98年に同校の監督に就任、その後99年にチームを[stadium]甲子園[/stadium]に導くと、08年、11年、15年、16年にも[stadium]甲子園[/stadium]出場を果たすなど名実ともに名将といえる指導者である。
もちろん指導者として常に順風満帆かというと、そうでもない。監督に就任したそうそう、99年に[stadium]甲子園[/stadium]に導くも、01年に香田 誉士史(こうだ・よしふみ)監督率いる駒大苫小牧に敗れると、その後駒大苫小牧の壁を破れず、9年間[stadium]甲子園[/stadium]から遠ざかることになる。
対する駒大苫小牧は、その間に2度の全国制覇を達成するなど輝かしい成績を収めた。同い年でもあり、同じ道内で切磋琢磨していた指導者が全国制覇したこの期間、平川監督もいかに駒大苫小牧を倒すか考えた時期になる。
ようやく駒大苫小牧を破り、北海道を制覇したのは08年になる。平川監督自身も指導者としてのターニングポインとして、01年に香田監督率いる駒大苫小牧に負けた年と、08年に駒大苫小牧に勝ち[stadium]甲子園[/stadium]出場を決めた、2つの年を上げてくれた。
では、この7年間で指導方針は変わったのだろうか?
平川監督は言う、
「2002年からの7年は、どうやったら駒大苫小牧に勝てるのかを考えながらやっていたのですが、指導方針を変えたことはないです。基本線は変わらずです。」
常にブレずに持ち続けた指導方針の根幹が「不易流行」なのである。では、その言葉の秘密を解き明かしていきたい。
高校野球は人間教育がベース・変えてはならない2つのこと
雪景色が広がる北海のグラウンド
「高校野球は教育の一環だというのが前提、学生野球憲章にのっとった教育の一貫というのが一番じゃないですかねぇ。人間教育というのがベースになりますよね。」
それと同時に
「野球をする目的は何なのかといったらやっぱり勝つことを目的とするということ」
そう、公認野球規則【1.00試合の目的】の中にある記述
【1.05】各チームは、相手より多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。
これこそが、野球の大前提のルールなのである。
「この二つは変えてはならないと思うことなのでそこまで変えちゃうと全部変わってしまう。変えてはならないものと変えなければならないものこれの上手いバランスをとっていかないと」
指導者・選手によってもこの「不易」は違うが、平川監督の「不易」はこの2つなのである。
この言葉の意味を今回の連載コラムで深く掘り下げていきたい。
文=田中 実