山梨学院と東海大甲府、日本航空など県外勢力勢に対抗する甲府工も健闘【山梨・2018年度版】
戦後は他県と組んで甲子園に出場するような厳しい状況にあった山梨県
名門 東海大甲府
高校野球や高体連の地区割りで言うと、山梨県は関東に区分けされている。本来地理的にはどこなんだということになるが、交通等の面を含めて考えると、関東地区に割り振られているというは妥当だと思われる。
新宿から特急で約1時間半乗ると甲府に着くというのは、比較的都心に近いということにもなる。そんな地の利は高校野球にも生きている。というのも、山梨県の多くの私学の場合は東京や神奈川からの選手が多いからだ。
近年の実績では一番といっていい東海大甲府や日本航空も、学校の特殊性もあるが、スポーツ強化という方針もあって県外勢力で強化してきた学校ともいえる。2017年夏に2年連続7回目の出場を果たした山梨学院も、千葉県埼玉県、神奈川県など近隣県の選手が多かった。
このように、山梨県の高校野球は、県外組の勢力の私立勢と県内の地元生徒が中心の公立とくっきりと区分けができる。ことに近年は私立校が躍進してきているという背景には少年野球の有力選手を集めやすいということも影響しているのではないかとみて間違いないであろう。
山梨県の高校野球の歴史としては、戦前は残念ながらほとんど語れるものがなかった。戦後も昭和30年代になって甲府商、甲府工の公立校の両校が甲子園で一つ二つ勝てるようになってやっと形になってきたといっていい。1県1校になるまでは静岡県や埼玉県と組まざるを得なくて、そのことによって甲子園の機会を少なくしていたということもあった。当然ながら、そんな時代は選手も集まりにくい。そうなると、地方都市ではリーダー格となることの多い旧制中学系が中心になっていく。その甲府一も僅かに戦前1回、戦後2回の全国大会を経験するに留まっていた。
こうした事実も、県内高校野球活性化の歯止めとなっていたようだ。
したがって、山梨県は関東大会に組まれていても上位に顔を出すことも少なかった。県内では人気ナンバー1の甲府工も、全国ではもう一つ印象的な活躍のないまま出場回数を重ねていくという感じだった。
[page_break:東海大甲府が与えた刺激が山梨県の急成長に繋がる]東海大甲府が与えた刺激が山梨県の急成長に繋がる
吉田洸一監督を招聘して勢力を伸ばしている山梨学院
そこへ刺激となったのが東海大甲府の登場だった。大八木治監督が就任して以降、東海大相模を彷彿させる強力チームで85年夏、87年春とベスト4に残る。このあたりから山梨県の高校野球のレベルは飛躍的にアップしていく。その後、東海大相模から異動してきた村中秀人監督が就任。神奈川県の選手も山梨県に興味を持ち出す機会も多くなった。このことで、選手の幅も広がっている。04年夏と12年夏には全国ベスト4。全国制覇へ県民の期待も高まっている。
こうして、甲府工と東海大甲府が引っ張る形で発展していった山梨県。
そこへ日本航空が加わり、さらには長崎県の清峰で実績をあげていた吉田洸一監督を招聘した山梨学院、県北部で長野県に近い小淵沢市の帝京三などが追いかけていく構図となった。
これに対して公立では甲府工のライバルとしては甲府商があり、さらには91年春に初出場でベスト4に進出している山梨市川が、近年もチーム力は充実。体育科のある名門の日川や身延、かつて甲子園出場の実績がある山梨吉田なども追随している。
八王子や神奈川県など、人口の増加している東京、神奈川の多摩方面の郊外からだと山梨への距離は近い。それらの選手が山梨の学校に行くことによって、その情報が濃くなり、またまた中央線で山梨へ向かう生徒が増えるということもある。
ことに、上野原市あたりは意識としては東京都と言っても過言ではないくらいであろうか。現実に日大明誠などは東京出身の生徒を考えた上でないとチーム構成することが出来ないくらいだ。そして、「あいつが行くのなら」ということで、その周辺で別の山梨の学校へ進学していく生徒もまた増える。また、学校自体も県内だけではなく県外生も広く受け入れることで運営できているのも確かだ。
山梨県は、そんな疑似首都圏の要素もあるのだ。
また、山梨県の高校野球の面白さはスタンドにもある。応援団が女子生徒も袴姿やガクランを着て男子同様にエールを振るというスタイルの多いことだ。山梨吉田、日川、都留の公立校にそれが多いのだが、このところ躍進してきている月江寺学園の富士学苑もそのスタイルを導入している。
関東地区では、参加校数は最も少ない県だけに、ふと勢いづくことができると、あれよあれよと頂点まで駆け上がれる可能性もある。それだけに、どこでもチャンスはあるともいえる。他県よりはその可能性は確実に高いことは間違いない。
(文:手束 仁)