横浜と東海大相模の2強を桐光学園と慶應義塾が追い平塚学園、横浜隼人等も追随【神奈川・2018年度版】
横浜と東海大相模の2強
横浜時代の松坂大輔投手(現中日ドラゴンズ)
エース松坂大輔(西武→MLB→ソフトバンク→中日)らを擁して横浜が春夏連覇を果たしたのが1998(平成10)年だった。当時の横浜は、現在の高校野球においては攻守で作り上げられる範囲の最高のものを作り上げたとも言われていたくらい強力で完成度が高かった。選手の素材の確かさの上に練習の質の高さという足し算を重ねていったことによって完成させた、名将渡辺元智監督の一つの最高傑作とも言えよう。
もっとも、強い横浜はそれだけではない。横浜の甲子園の歴史は江川で沸いた1973(昭和48)年春の優勝から輝き始める。さらには、愛甲猛投手(ロッテ→中日)の80年夏の全国優勝で一つの頂上にたどり着く。この年のチームも史上最強チームの候補に入れても不思議はない。負けないチームだった。
さらに、03年春には成瀬善久投手(ロッテ→ヤクルト)を中心としてまとまりのいいチームで準優勝を果たし、スター選手不在でも勝てるチーム力の高さを示した。その翌年も涌井秀章投手(西武→ロッテ)や石川雄洋(横浜・DeNA)らでベスト8に進出している。横浜を倒した駒大苫小牧はそのまま全国制覇を果たしている。
「神奈川を制するものは全国を制す」というのは、しばしば高校野球で神奈川県の質の高さを表現する言葉として用いられた。ただ、厳密にいうと、「神奈川を倒せば全国制覇に至る」と言うことになるのかもしれない。
県内でその横浜の最大のライバルとなっていっているのが東海大相模だ。神奈川は60年代後半に武相が一時代を作っていたが、新鋭の東海大相模に福岡県の三池工で初出場初優勝の快挙を果たした原貢監督が就任する。これが、東海大相模の第1次黄金時代の始まりとなる。打撃優先のチーム作りは驚異的だったが、大胆な守備陣形なども含めて、完全に大人のチームという感じだった。
70年夏に初優勝を果たすと、75年春は原辰徳(読売前監督)、津末英明(日本ハム→読売など)らの強打者を擁して準優勝。しかし、その後はやや低迷に陥る。それでも、92年春に準優勝するなど存在感は示している。春は2000(平成12)年にも全国制覇を果たすものの、夏の甲子園はなかなか縁がなかった。
そんな折に2010(平成22)年に悲願の春夏連続出場を果たすと夏は準優勝。さらに、翌春も全国制覇するなど完全に第2次黄金時代を形成。そして15年夏には小笠原慎之介投手(中日)で全国制覇を果たした。東海大相模は、17年秋季県大会も制して関東地区大会に進出。関東大会ではエースを故障で欠きながらもベスト4に進出し、7年ぶり10回目となる翌春のセンバツ出場も果たしており、層の暑さも示した。
こうして神奈川県は完全2強時代となっていった。
[page_break:桐光学園、慶応義塾による4強に食い込む実力校]桐光学園、慶応義塾による4強に食い込む実力校
桐光学園時代の松井裕樹投手(現:東北楽天ゴールデンイーグルス)
その2強を追う筆頭が現在は桐光学園ということになる。その前に文武両道分業型といってもいい学校の方針の先駆的役割でもある桐蔭学園という時代もあった。71年の夏に初出場すると、極めて高度な野球を展開して初優勝を果たした。
その桐蔭学園を模範として追いつけ追い越せで実績を上げてきたのが、一字違いの桐光学園である。野球部より先にサッカー部が全国大会に出て注目を浴びたが、野球部は01年センバツに悲願の初出場。少年野球のエリートたちを集めての野球部強化と、指定校制度も巧みに駆使して徹底した進学指導という二本柱の方針は桐蔭学園と同じである。早大出身の野呂雅之監督の指導も選手の個性を生かしたものということで評価も高い。02年夏についに夏の甲子園出場も果す。その前年のチームが全国でもベスト8以上のレベルといわれながらも横浜の壁に跳ね返されただけに感動も大きかった。
さらには、2年生ながら松井裕樹(楽天)が1試合奪三振記録を樹立した12年夏の活躍などで、桐光学園はあっという間に全国区となった。
それを追う形で存在するのが慶應義塾だ。上田誠前監督の尽力もあって、強化体制を導入。05年春に43年ぶりに甲子園に復活してオールドファンを喜ばせた。そして、08年は記念大会で増枠ということもあって春夏連続出場。夏はベスト8まで進出している。その後も、上田監督を引き継いだ森林貴彦監督で15年夏の神奈川大会で準優勝し、その秋には県大会を制する。そして、17年秋季県大会も準優勝で関東大会に進出すると、4強進出して18年春のセンバツ出場を果たした。
これで県内4強の構図はほぼ固まった。
次の勢力としては数校が集団となっている。
09年夏に悲願の初出場を果たしている横浜隼人。大学や社会人経由も含めると10人以上ものプロ野球選手を輩出している横浜創学館に、かつては全国制覇も果たしている桐蔭学園。07年春に出場している日大藤沢や、部員数では県内でも1~2を争う多さの横浜商大。県西勢では実力校として注目されており、関東大会にも出場を果たし、過去には甲子園出場実績もある平塚学園に、過去3度の夏の神奈川大会決勝進出という実績のある向上などが競い合っている。
また、日大も甲子園には届いてはいないものの、関東大会に進出するなど、あと一歩のところに顔をのぞかせている。そして、17年秋には横浜を倒して久しぶりにベスト4入りを果たした鎌倉学園も復活を目指す。他には、本田仁海投手がオリックスの4位指名を受けて注目された星槎国際湘南は桐蔭学園を何度も甲子園に導いた土屋恵三郎監督が指揮を執り強くなった。橘学苑に光明相模原、藤嶺藤沢、藤沢翔陵と立花学園などもひと暴れする可能性はある。古豪の法政二や武相も復活を目指している存在だ。
これら私学勢に対して公立勢としては、歴史をさかのぼって行くと、戦後4大会目となった49年夏に湘南が全国優勝したことで世間を驚かせている。湘南は今、県内では21世紀枠の代表校として推薦される可能性が高い学校として期待されている。
[page_break:伝統校の存在とダークホースによる激戦必至]伝統校の存在とダークホースによる激戦必至
伝統校の復活で注目の横浜商
伝統校の復活ということで言えば、戦前は日本で最初に正式に野球の対外試合をした学校ともいわれている横浜商にも注目が集まる。市立校としての伝統もあるし、校章が「Y」の文字なので、地元では親しみを込めて「Y校」と呼ぶ。戦後はやや低迷が続き、4年連続神奈川大会決勝で敗退などの悲運を経験しながら、1979(昭和54)年に宮城弘明投手(ヤクルト)で46年振りに甲子園に戻ってベスト4に進出した。以降、再びY校への期待も高まり、それに応えられるチームになっていった。83年は三浦将明投手(中日)で春夏ともに準優勝を果たし「Y校」の呼称もすっかり全国のファンにも定着した。
Y校と湘南以外でも公立校も限られた条件下ながら頑張っている。ことに近年では15年の春季県大会で準優勝まで駆け上がって一気に話題となった県相模原などは毎年好投手を擁して素晴らしいチームを作ってきている。
とはいえ、甲子園への道は非常に厳しいというのは正直なところだろう。それでもそれぞれの夢を追い、可能性を求めている。川崎地区では01年春季大会で準優勝し、関東大会に出場して新しい歴史を作った百合丘に市立橘や川崎北、大師といったところが面白い存在だ。横浜地区でも99年夏に桐蔭学園に負けたが決勝まで残った神奈川桜丘と神奈川工に瀬谷、磯子、戸塚、白山などは注目される。
他地区でも綾瀬、弥栄、城山など指導者も熱心で上位進出を果たせる力は十分にある。西湘、厚木、海老名、大和西なども地区では評価が高い。
いずれにしても、全国トップレベルに並ぶ上位校にどう挑んでいくのかというところが神奈川県の一般的な各校の戦い方でもある。近年は200校には届かなくなったものの全国一二を争う参加校数の神奈川県。高校野球のもっとも高いところで競い合っていることは確かだ。
(文:手束 仁)