西勇輝「菰野の後輩たちにとって大きな道標となった」
オリックス・バファローズのエース格として活躍する西 勇輝投手。三重・菰野高のエースとして、2008年夏甲子園出場を果たし、2008年のドラフトではオリックスから3位指名を受け、プロの世界に足を踏み入れる。プロ1年目から一軍戦に登板すると、3年目の2011年には先発ローテーションに定着し、プロ初勝利を含む10勝を挙げる。2012年にはノーヒットノーランを達成するなど、プロ入り9年間で64勝を上げる投手にまで成長した。その西の高校時代を知るべく、菰野高校の戸田監督に話を聞いた。
教えるところがほとんどなかった
戸田監督が西を初めてみたのは、八風中の3年生の時。まだ最速120キロぐらいの投手で、あまり印象に残っていなかったが、入学すると133キロまで速くなっていた。ベテランの戸田監督にとっても驚きの成長度で、気になる存在となった。入学当時の印象について戸田監督はこう話す。
戸田直光監督(菰野)
「投げ方も綺麗でしたし、コントロールもよい投手でした。ただ体の力がないので、まだシュート回転することも多く、外に投げたボールが真ん中に入って打たれることは1年生では多かったですね。まずは体づくりでした。」
走り込み、筋力トレーニングで体を作ると、2年春には球速は140キロを超えるようになっていた。シュート回転は少なくなっていたものの、まだ内角にストレートを投げる際はナチュラルにシュートしていた。しかし、戸田監督はあえてそこはいじらず、武器として投げさせることを薦めた。今では西はシュートを決め球として使うようになっており、プロで戦っていく上で大きな武器となった。
2年生になった西はエースとして活躍するようになり、夏の三重大会では決勝に進出。中井 大介(現・巨人)擁する宇治山田商に敗れ準優勝に終わったが、3年春の県大会では優勝を果たして、東海大会出場。この時からプロのスカウトの注目を浴びるようになっていた西。グラウンドに駆け付け、西を見たスカウトは「教えるところがほとんどない」というほどの評価だった。そしてそれは戸田監督も同じだった。
「私も西に投手として教えたところはほとんどないです。スカウトからもあとは体を作るだけという評価でしたね」
西の最大の長所はコントロール。当時から捕手の構えたところにほとんど投げられた西。戸田監督は西の優れたコントロールを象徴するエピソードを紹介した。
「西の投球練習は下級生の捕手が務めていたのですが、普通の投球練習ではないんです。なんとホームベースの上に、パイプ椅子を置くんですよ。ミットは座る椅子の上に置いて、そこに投げると西はいうんですよ。私は大丈夫か?と止めるんですけど、西は大丈夫です。投げられますというんですよね。まあ何球か当てていましたけど(笑)でも実際に、来るんですよね。それぐらいコントロールに自信を持っていたことが分かりますよね」
さらに戸田監督は西の特徴を1つ教えてくれた。
「あいつは140キロを投げる投手にしては、足が遅く、瞬発力がないタイプでした。西の後に入る140キロ越えの投手はみんな足は速かったですし、瞬発力もあるタイプですから、本当に珍しかったと思います。ただフィールディングは抜群に上手く、機敏に守ることができる投手でした」
実は誰にもない武器を西は持っていた
西勇輝投手(菰野-オリックス)
そして迎えた最後の夏。西はエースとしてチームを甲子園に導く存在になった。6試合すべてに登板し、決勝戦の宇治山田商戦も完投勝利。見事、チームを3年ぶりの甲子園出場に導いたのであった。甲子園では仙台育英戦に先発したが初戦敗退を喫し、西の夏は終わった。
最後の夏を振り返って戸田監督は「あれだけ投げても西は壊れなかったですし、回復力もあり、スタミナもある投手でした。あんなにタフネスな投手は西ぐらいでしょう」と西のスタミナをたたえた。
そして2008年のドラフトで、オリックスから3位指名を受け、プロの門を叩いた西。戸田監督は「コントロールがただいいだけではなく、微妙な投げ分けができる投手でしたので、体力がつけば一軍で十分投げられる投手なのでは」とプロでも通用する制球力があると評価していたが、プロ3年目で10勝を上げ、その後もローテーションに定着しているのは、戸田監督にとっても想像以上の成長度のようだ。西が菰野野球部に残したものは大きなものがあった。それは、戸田監督が投手を育てる上で、一つの目安となっている。
「西は最初からプロに行かせるつもりで育てたわけではありません。130キロそこそこの投手が体をしっかりと鍛えれば、140キロまで速くなり、プロを狙える投手になるんだなと教えてくれる投手でした。だから、西の後輩である関 啓扶(元中日ドラゴンズ)も、入学当時から130キロを超えていたので、プロは狙えるかなと思いましたね。そういう基準を作ってくれたと思います」
しかし、菰野にはこれまで140キロを超える投手は出てきたが、菰野から直接、本指名で高卒プロ入りを果たした投手は西以来出てきていない。これまでの教え子と比較して西は何が突出しているのだろうか。戸田監督は、「体の使い方」だと語る。
「入学当時から投げ方はほとんど変わらなかったですし、コントロールもよかった。ただ西は先ほども話したようにフィジカルも高い投手ではありません。それでも140キロを超えていたのは、身体の力を指先に伝える力の伝達が非常に上手かったから。これは私が教えたものではありません。天性のものがあったと思います。力を伝達する技術は、高いレベルになるほど大事なものになると思います。
そして肩、ひじも柔らかく、故障もなく、回復力も速かった。壊れにくいというのもとても大事なことです。
今考えると、なかなかいない投手だったかもしれませんね。あと1つ。あいつは走者を背負っているときが強かった。ランナー三塁の場面でもしっかりと抑えられる頼もしい投手でした。だから現エース・田中 法彦(最速150キロ右腕)がピンチを迎えたときにいうんです。西はこの場面で絶対に抑えていたぞ!って」
西は高校時代、球速140キロ前半と決して速かったわけではない。それでもプロで活躍できる誰にもない武器は持っていた。それは投手として大事な素質であり、一流投手として活躍する西は、これからプロを目指す菰野の後輩たちにとって大きな道標となっている。
(取材・文=河嶋 宗一)