打線は沈黙、エースは炎上…。惨敗の春から生まれ変わった二松学舎大附の夏
市川 睦(二松学舎大附)
4月15日に行われた春季都大会の準々決勝で二松学舎大附は、日大三に1-16の5回コールドで大敗した。先発の市川 睦は3回途中で降板し、自責点6。打線は内野安打1本に抑えられるという完膚なきまでの完敗であった。このチームがこの夏、甲子園で勝利の校歌を歌うとは、想像できなかった。
今の3年生は、1年上に大江 竜聖(巨人)、今村 大輝(明治大)、三口 英斗(上武大)という、1年生の夏に甲子園の土を踏んだ、実力も実績もある先輩たちがいた。3年生にしても、最初は外野手だった市川をはじめ、鳥羽 晃平、永井 敦士、遠藤 聖生ら、1年生の夏または秋から試合に出ている選手も多く、素材としては早くから期待されていた。しかし、気持ちを前面に押し出してくる先輩たちに比べ、気持ちの弱さがあった。選手個々の個性を見極めて指導する市原 勝人監督にしても、そこが苦労した部分であった。
その典型が、エースの市川であった。市川は、昨年の春季都大会では、都立日野や八王子との試合に好投し、可能性はみせた。けれども決勝戦の関東一戦では、逃げの投球で早々に降板した。市原監督は試合後、市川をチームのバスには乗せず、電車で帰らせた。今年の春季都大会の日大三戦では、市川が降板した後、市原監督は試合中にもかかわらず市川に説教を続けた。
日大三戦の大敗が、市川を変えた。この夏マウンドに立った市川は、今までは別人であった。体格もたくましくなり、球威が増した。何よりも、おどおどしたところがなくなり、気持ちの入ったエースらしい顔になっていた。それは甲子園に行っても変わらなかった。
初戦となった2回戦の明桜戦、市川は打球を足で止め、三塁走者を本塁で刺したが、これは向かっていく姿勢があればこそのプレーであった。
たくましくなったのは、市川だけでない。二塁手として期待されていた鳥羽は、失策が続き、一時ポジションを失っていたが、俊足の中堅手として攻撃の核になった。
東東京大会で調子が今一つであった4番の永井は、明桜戦では俊足を生かした内野安打を含め、5打数5安打の大当たりであった。ただし永井の持ち味は、俊足であるのと同時にパワーがあることである。3回戦の三本松戦も含め、長打が出なかったのは、彼としては物足りなかった。
春から夏にかけて市川をはじめとしてチームは生まれ変わり、甲子園で3回戦に進出した。もっとも、打線があまりに強力であったがゆえに、東東京大会では投手の制球力が良く、守りがしっかりしたチームとの接戦を経験することがなかった。
三本松戦では、制球のいい相手投手の球を早打ちし、併殺を重ねてチャンスを潰したのが惜しまれる。この経験を1、2年生が受け継ぎ、甲子園でさらに上を狙えるチームに成長していくことを期待したい。
(文・構成:大島 裕史)