帝京第五vs英明
帝京第五「徹底」からの「探究」で開いた48年ぶり聖地への扉
帝京第五先発・岡元 健太朗(2年)
まず、敗れた英明について触れたい。準々決勝ではバス3台などでスタジアムへ駆け付けた地元の方々の声援も背に40年ぶりのセンバツを目指した高知中村(高知1位)に対し、9回二死から2点を奪って追い付き、延長13回で勝ち越した勝利への執念は、この日も健在だった。
この帝京第五戦でも南予地区予選から21打数12安打10打点と当たりに当たっていた4番・篠崎 康(2年・捕手・右投右打・178センチ84キロ・宇和島ボーイズ)に対しては敬遠気味2個含む3四死球で勝負を避ける「割り切り」で失点を最小限にとどめ、9回表には一死一・二塁から4番・藤井 拓海(2年・投手・右投右打・182センチ87キロ・高松市立太田中出身)の中越二塁打、5番・田中 陸(1年・三塁手・右投右打・阿南シティポープ<徳島・ヤングリーグ>出身)の左前打で2点を返し、なおも一死満塁の同点機まで作る粘り。
香川 智彦監督は「1球目のストライクを振れなかった」と、そこに至る再三の逸機を課題にあげたが、藤井も誓った「勝てる投手になる」投手陣が整い、この秋は31打数11安打7打点盗塁3と主将・リードオフマンの役目を果たした吉岡 宏芙(2年・二塁手・右投右打・171センチ67キロ)が振り返った「香川大会準決勝で1回負けたチームなので、四国大会前か這い上がっていく意識を話していた」意識の精度をさらに高めることができれば、2017年夏の香川大会では必然的に優勝候補筆頭になるだろう。
そんな英明以上に躍動したのが、翌年センバツで甲子園初出場につなげた1968年の準優勝以来となる、48年ぶり2度目の今大会準決勝進出を果たした帝京第五である。
英明先発・藤井 拓海(2年)
1985年・帝京(東京)エースでセンバツ準優勝。筑波大でもエース格で2年秋に明治神宮大会優勝、3年春には日米大学野球日本代表(現在の侍ジャパン大学代表の前身)、大学通算25勝で1989年ドラフト2位でロッテオリオンズへ。プロでも7年間で27試合に登板し、その後は帝京でも前田 三夫監督の下で2010年末まで9年間、コーチ・助監督として母校の躍進を支え、今年4月より帝京第五に赴任した小林 昭則監督の下、県大会初戦・小松との9対8激闘から試合ごとに経験を力に変えてきた選手たち。
この英明戦でも2対1で迎えた8回裏二死満塁から3打席目までの粘りから一転、前打席に続き初球の高めストレートを右中間三塁打とした2番・宮下 勝利(2年主将・右投左打・168センチ59キロ・東淀川ブラックジャガーズ<大阪・軟式>出身)をはじめ、「まずはストライクからボールになる変化球を見極め、その次にゾーンを上げた甘い球を叩く」指揮官が新チームで言い続けてきたことを体現する「徹底」は見事である。
さらにこの試合、帝京第五は準決勝ならではの「探究」が加わっていた。5回裏、唯一勝負してもらえた4番・篠崎が中前二塁打でつないだ二死二・三塁を中前勝ち越し打に結び付けた5番・小西 隆斗(2年・三塁手・右投右打・170センチ74キロ・大洲市立平野中出身)は、この一打の要因を振り返る。
「実は得点圏のランナーを背負った時には、藤井くんはカーブを多投するデータがあったんです。そこを狙って真ん中低め寄りのカーブを打ちました」。
「『低め』ではなく『インロー』の投球を徹底させ」(小林監督)、この秋は7試合51回を投げて26四死球と南予地区新人戦での制球難を劇的に改善させたエース・岡元 健太朗(2年・投手・左投左打・168センチ55キロ・貝塚リトルシニア<大阪>出身)の熱投も含め、できることを最大限に、かつ濃密な形で出したことが48年ぶりの決勝戦進出につながった。
登記 欣也(神戸製鋼~元:近鉄バファローズ)がエースの時代以来、好左腕・塩見 貴洋(八戸大~東北楽天ゴールデンイーグルス)も、剛腕・平井 諒(東京ヤクルトスワローズ)もあと一歩で開けなかった甲子園への重い扉。「徹底」からの「探究」でその扉を開けた彼らは、さらに明るい光を浴びるため、初優勝を目指す戦いへと歩を進めていく。
(文・写真=寺下友徳)
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