麗澤瑞浪高等学校 赤塚 瑞樹投手【前編】「両投げ投手誕生の道のり」
両投げだけでも珍しいが、左右とも、投げ込む速球が130キロ以上。そして変化球もしっかりと投げ分けができる完成度を誇る高校生投手がいる。それが麗澤瑞浪の赤塚瑞樹投手である。まずは両投げ投手誕生までの道のりを教えていただいた。
両投げ投手誕生までの道のり
赤塚 瑞樹投手(麗澤瑞浪高等学校)
最速141キロのまとまりのある右の本格派。よくあるタイプの好投手が突如マウンド上でクラブを右手にはめかえると、左腕からも130キロのストレートと3種類の変化球を繰り出した。麗澤瑞浪の赤塚 瑞樹(3年)は全国的にも珍しい両投げの投手。キャッチボールも両手で行い、両投げで登板した日は両方アイシングする。
小学1年で野球を始めた赤塚が両投げに挑戦したのは小学2年の時。両投げ投手を作りたかったという父の勧めで左手でもボールを握った。最初は両投げをするつもりは全くなかったというが、まだ右手でのキャッチボールもおぼつかない頃だっただけに左で投げることへの抵抗も全く無く、「右と同じくらい投げられるようになって、段々上手くなっていっているので楽しかった」と受け入れた。投球フォームは右なら元巨人の桑田 真澄(2013年インタビュー)、左なら現在ソフトバンクで監督を務める工藤 公康(2009年インタビュー【前編】【後編】)を参考にし、ひたすら壁当てを繰り返す。
先日、アスレチックスの両投げ投手、パット・ベンディットがメジャーデビューを果たし話題となったが、7年前にマイナーで両打ちの選手と対戦した時もどちらが先に左右を決めるのかというやりとりがちょっとした話題になり、この一件をきっかけに「投手は投手板に触れる際、どちらかの手にグラブをはめることで、投球する手を明らかにしなければならない」というルールが野球規則に加わった。両投げの練習を続ける赤塚にとっても大きなニュースで、この頃からパット・ベンディットは憧れの存在だという。
ただ左投げも練習していることは少年野球の監督には内緒にしており、初めて告げたのは投手も出来るレベルに到達した高学年になってから。当時は両投げ用のグラブを持っておらず、右で投げていて調子が悪かったり球数が多くなると、タイムをかけて監督に左投げ用のグラブをベンチから持ってきてもらうなどしていた。中学では軟式野球部ではなく、硬式のボーイズリーグに所属。硬式球への対応に左右での違いはなく、ネットスローに励むなど両投げの練習は継続していたが、チームに左投手が多かったこともあり試合では基本的に右で投げていた。
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監督の決意と冬の特訓で牽制やフィールディングも上達
赤塚 瑞樹投手(麗澤瑞浪高等学校)
オーソドックスな右のオーバースロー。これが梅田 恭明監督の赤塚 瑞樹に対する第一印象だった。
「中学のボーイズリーグの大会で見る機会があって、その時は右で投げていた。癖が無く良くなりそうという印象がありました」
両投げだと知ったのは夏休みが終わってすぐの頃、当時中学3年だった赤塚から練習見学を希望する電話が学校にあった時、「両投げなんです」という伝言を伝え聞いた。
「と言っても左でも投げられる程度のものだろうと。初めて来た時も両投げでチャレンジしたいと言ってきたけど、最終的な判断はこちらでするぞ、と。でも実際に見たら左でも投げられるどころじゃない。変化球も投げますしね。左でもピッチャーみたいに投げられる、じゃなくて両投げのピッチャーとして育てたいと思いました」
球威こそ利き手である右には及ばないものの、フォームは実にスムーズで肘から出る腕の振りも綺麗。半信半疑だった梅田監督の心は、初めて赤塚の左投げを目の当たりにしたその瞬間から、両投げ投手育成へと切り替わっていた。
前任の多治見工業での2年間も合わせれば指導歴は10年を超えるが、両投げ投手を預かるのは初めて。前例もほとんどなく、相談出来るような知り合いもいなかった。
右を10とすると左は6ぐらい、入学時の左右の力量差は梅田監督の目にそう映った。当然試合でも右では抑えたのに左で打たれることもある。それでも、
「左にスイッチした時にフォアボールを出したり、打たれた時に言うのを抑えようと。左でも投げられる、じゃなくて状況や打者に合わせて左右を選択出来る投手にしようという思いがありましたので」
そのレベルになるために避けては通れないのが牽制やフィールディングなどの投げる以外の部分。ここを昨年の冬に徹底的に鍛えた。
「シーズン中に特化した練習は中々させられないので、高1の冬に元々よくするけどさらに磨きをかけようと、各ベースにティーネットを置いてずっと練習してました」
麗澤瑞浪では1ヶ月に1つの目標達成がノルマとなっている。梅田監督が選手に求めるのは毎月必ずステップアップすること。
「出来ないはあり得ない。目標は掲げるものではなく、達するものだ」
ただ、両投げに挑戦するからには必要な練習量は単純に考えても2倍。しかも利き手ではないというハンデも抱えている。それでも梅田監督の人間性に惚れ込み麗澤瑞浪を選んだ赤塚は一冬の間にメキメキと上達。左のスナップスローを特に苦手としていたが、春には難なく出来るようになっていた。
梅田監督も
「右から左に変えると相手はセーフティをよくするんですけど何も問題無い。左でセーフティを悪送球してそこから崩れるというのは見たことが無い。逆に、左に変えたらランナーが逆をつかれることがよくあるぐらい」
と、左での牽制やフィールディングは今や不安要素ではなく、アドバンテージとなっている。
まるで漫画のような話と感じてしまうかもしれないが、現実として起こっている話である。それも赤塚投手は、ケガで両投げを始めたのではなく、最初から両投げを目指したである。後編では両投げ投手として極めるためにどんな取り組みを行い、どんな苦労があったのかを伺ってみた。
(取材・文=小中 翔太)
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