拓殖大学紅陵高等学校(千葉)【前編】
「千葉の名門」復活への確かな胎動
千葉大会ではBシード。7月14日に流山南と松戸六実の勝者を[stadium]千葉県野球場[/stadium]で迎え撃つ拓大紅陵。昨夏限りで、1981年の就任以来、春夏通じて9度の甲子園に導き、今年「日本高野連育成功労賞」も受賞した名将・小枝 守監督が勇退。小枝氏と長年タッグを組んできた澤村 史郎部長が監督に就任後、最初の夏を迎えることになる。気づいてみれば春は2004年・夏は2002年以来遠ざかる甲子園出場へ。そして「激戦千葉」を勝ち抜くために具体的にどのようなことに取り組んでいるのか?
名選手たちの汗と涙と歓喜が詰まったグラウンドに足を運んだ。
「強打」への取り組みを始めた転機
本塁打を打つ中西 篤志選手(拓殖大学紅陵高等学校)
今年の春季千葉県大会で忘れられない光景がある。3回戦の拓大紅陵vs市立船橋戦における拓大紅陵の選手たちである。例年に比べると明らかに逞しくなっている体つき。「これは夏には強打のチームになっているかも」。その予感は拓大紅陵グラウンドに入った瞬間、確信に変わった。
真っ先に目に飛び込んだのが、この春、5番を打っている中西 篤志(3年)の豪快な本塁打。中西だけではなく、多くの選手が次々と鋭い打球を飛ばしていく。では、なぜ強打が磨き上がったのか?その理由を探るには昨秋のチームスタート時から振り返る必要がある。
エースの鈴木 寿希也(3年)をはじめ、林 世翔(3年)、境 優多(3年)の3投手に加え、堅守のショートストップ・樫森 恒太(3年)、正捕手の伊藤 寿真(3年)と、旧チームから数多くの試合に絡んでいた拓大紅陵。そこで澤村監督はまず、彼らの経験値を活かしたチーム作りに取り組んだ。
ところが、新チームの練習試合2試合目・東亜学園戦で大きな転機が訪れる。
「その試合は3対4の接戦で敗れたんです。ただ、負けた悔しさが感じられない雰囲気があった。そこで私はこう話したんです。『勝つときは偶然、負けるときは必ず原因がある』。まず、勝ちにこだわることを選手たちに徹底し植え付け、さらに研究・洞察することの大事さも選手たちに説明しました」(澤村監督)
そこで導き出された分析は「投手は計算ができていて、ディフェンスは悪くない。残りの課題は打つこと」。これが強打・拓大紅陵へのスタートラインとなった。
「ダンシング素振り」の効果
本塁打が出て盛り上がる拓殖大学紅陵高等学校ナイン
かくして打撃強化へ舵を切った拓大紅陵。最初に取り組んだことは「素振りの時間を増やす」であった。
ただ、多く振るというのは時間がかかるもの。「ただ多く振れ!といっても選手は集中力がなくなって、全然やらない」と澤村監督も認めるように、効果的に量を振らせるには一工夫が必要だ。
そこで拓大紅陵が取り組んでいるのが音楽を流すことである。これは小枝監督時代からの踏襲であるが、素振り量を増やしても効果はテキメン。指揮官がその原理を明かしてくれた。
「音楽に合わせて 1、2、3、4のテンポで振ると400~500スイングにはすぐに達する。しかもリズムとタイミングを合わせながら振ると、強く振れるんです」
実はダンスの世界では、「リズムに合わせて動くことは人間の本能」という定石がある。こうしてまずは振る時間を増やした。そして冬を越し、春になってからは打席に立った時の感覚をつかんで、実戦力を磨く。
そこでクローズアップされるのは高校野球100年を振り返る上での「レジェンド」。元横浜ベイスターズ外野手・田中 一徳コーチの存在だ。
田中 一徳コーチの詳細な技術指導
昨秋から拓大紅陵の指導にかかわっている田中コーチ。PL学園で2年夏には第80回甲子園準々決勝で横浜と対戦。今も伝説の一戦として語り継がれる「延長17回」中「1番左翼手」として8打数4安打。1999年ドラフト1位で入団した横浜ベイスターズ時代は、俊足巧打の選手として活躍。さらにアメリカ独立リーグも2年間経験している。
名門・NPB・そしてアメリカ。様々なタイプの選手たちを目の当たりにしてきたコーチの指導力は、選手たちにも好評を博している。エースで4番の鈴木 寿希也は話す。
「技術的に足の使い方、腕の使い方、ヘッドの出し方などを指導していただきますが、毎回参考になりますし、不調のときに田中コーチに指導してもらうと、すぐに良くなります」
また2年生ながらクリーンナップを打つ本多 正典も、「指導は分かりやすいですし、年齢が離れているわけでもないので、話しやすいです。調子が悪いときは的確なアドバイスをいただき、打てるようになったので、良かったです」と指導の効果を実感している。
(取材・文=河嶋 宗一)
後編では強打の礎となる「食事改革」。そして13年ぶりの千葉大会制覇への意気込みを大いに語ってもらいます!