県立鷲宮高等学校(埼玉)
[pc]
[/pc]
強豪私立が目白押しの埼玉で、毎年のように結果を出す県立鷲宮高校。
全身全霊のトンボがけや、全力のボール回し。さらに、腰を曲げるタイミングまで綺麗に揃った鷲宮の礼は圧巻だ。
そんな鷲宮球児の気持ちの入った動きに、魅了される埼玉の高校野球ファンは多い。
▲今春、ノーシードから関東大会進出を果たした
特別なことはしたくない
「いやぁ、ほんとに。どうしてここまで勝てたか、というのは不思議です。教えて貰いたいくらいですよ。ただ、大会を1試合でも多く経験できたのは大きいです。背番号を付けて試合をする、他にはない独特の場所ですからね」
柿原実監督は春の大会をこう振り返った。柿原監督は13年間鷲宮の野球部で指導をしている。公立高校の教諭として13年は異例の長さだ。2010年からは監督として、それ以前は部長として、鷲宮高校野球部の歴史を間近で見てきた。
▲県立鷲宮高校野球部 柿原実監督
その柿原監督が言う。鷲宮は変わったことはしていない。普通のことしかしないと。
「特別なことをした、って自己満足になってしまう。それは避けたいんですよ」
よく言われる、腰の入ったトンボがけも何も特別なことではない。以前、グランド整備用のトンボを、大工である部員の父親が頭の部分を補強し改良。力を込めても壊れにくい仕様になったため、力を込めてトンボがけを出来るからやっているだけだという。ボール回しも礼も、日々の積み重ねそのまま。普段と変わらないことを、学校内外でおこなっているだけなのだと。
考える力と責任感
ちょうどその頃グランドでは、鷲宮が『スクエア回し』と呼んでいるボール回しを行っていた。
ボールをその場でキャッチ→走っている相手に対して、パス→ラン→走りながらのキャッチ→走りながらのパス→ランという一連の動作を対角線上に走りながらほぼ動きっぱなしで繰り返すもの。雨の日に体育館で見たバスケット部のスクエアパスにヒントを得たとのことだ。
入れ代わり立ち代わり動きまわる選手たちに目をやりながら、柿原監督は少し渋い顔をした。
「キビキビ素早くやれば良いんだって思っちゃう生徒がいるんだけど、違うんだよね」
どれだけ一球に思いを込められるか、大会と同じ緊張感で挑むことが出来るか。動きはもとより、そこに至るまでの思考に重きを置いている。素早く動こうとしても、腰のキレがない。ちゃんと考えていないから、無駄がある。
「考えて思いを込めれば、しっかり動けるんです。動きよりもまず考えることが優先」
練習のための練習はダメだという鷲宮の練習は、シートバッティングもノックも、ランナーを置いた実戦形式で行われる。考えさせるためだという。守備であれば、打者は誰?走者は?アウトカウントは?どんな攻撃をしてくる?打者であれば、ランナーはいるのか?誰か?足が速いのか?遅いのか?自分がランナー役であれば、バッターは誰?ミート力はあるの?長打を打つの?走っていいか?アシストはしてもらえるのか?等々、その都度状況に応じて考えさせる。同じ失敗を重ねながら、徐々に出来るようになる。
一連の練習には1年生も全員参加させる。自分がどれだけ動けないのか、高校生のスピードにどれだけ追いつけないのかを自覚させるためだという。体力的にも精神的にもキツイ話だ。
「でもね、夏が終わって、先輩たちが抜けたらもっとキツくなる。早く自覚して、責任感を持ってほしいんですよ。試合に出る責任。ベンチに居る責任。スタンドに居る責任。そもそも野球部で野球をする責任もある。それぞれ甘いものじゃないんだぞって」
そういうと勢いよく立ち上がり、間髪入れずにグランドの選手たちに声をかけた。
「今の挨拶をやり直させろ。どうして2年生の方が声大きくてちゃんと出来ているんだ?まだ1年生だからわかんないんだよな。ちゃんとやる意味を教えてやれ!」
十分声が出ていたように感じたが、柿原監督は満足しなかった。教えてやれと指名を受けた2年生も、戸惑うことなく指示を送る。あれだけ動き回り、挨拶、声が飛び交う中でも、少しの手抜きも許さない。
柿原監督は、たしかに、他の学校と比べたらしっかりできていると思うんですけど、と前置きをしつつ言った。
「でもそこで満足してしまったら、伸びないんですよ。もっと上までは行けないかもしれないけど、目指そうよ、って。手の届く所を目指したって、伸びない。そうやって、野球や人間の幅を広げるんです」
教師・柿原の顔がそこにはあった。
取材に訪れたこの日、出し忘れた提出物を取りに帰るため、挨拶に来た部員がいた。
それに対し、遅れた理由、解決策、今後の段取りの仕方。厳しいながらも丁寧に伝えていく。段取りをうまく組んで、先を見越して早めに動く。そしてその行動に責任を持つ、という考え方こそが、野球にも生きるのだと結びつけながら。
「僕は結局、教諭なんです。野球部の監督だけじゃないんです」
高校野球は通過点である。鷲宮を卒業した後、さらに上のレベルでやる生徒は少ない。だからこそ、野球を引退した後も頑張れる人間を作っていきたいのだという。そのため、細かいところまで考える訓練をさせて、その都度、意味を求める。社会で勝てる人間になるための訓練なのだと、柿原監督は言った。
勝つための意識改革
▲ 大塚(左)塚本(右)の3年生バッテリー
現在主力として活躍している選手は、監督曰く『いい子』たち。
心が優しいがゆえ勝負ごとになるとプレッシャーを自分で作り出し、思考がマイナスに向かい体が動かなくなった。自分たちが創りだした怪物に、負けた。その意識を改革させる戦いが始まった。
とはいっても、特別なことはしない。冬はオーソドックスに走りこんだ。朝から15km走り、その後自転車で4kmダッシュを繰り返す。コースもその都度代えた。そして、これまでやってきた、『考える』事を再度叩き込んだ。
▲鷲宮の頼れるクリーンナップ(左から齋藤、小林、戸草内)
「長距離走って、嫌なものでしょ?その嫌なことをしている時に何を考えているかってことですよ。頭の中で歌う選手もいるだろうけど、もうちょっと上を目指そうぜ、って。チームワークって言っているけど、ボールを取りに行く時、打ちに行く時っていうのは、結局自分の力なんですよ。体力をつけると言うよりは、自分の中での考え方を鍛えるために長距離をやらせるんですよ。それで、ちょっと考え方を変えることが出来たのかな、とは思います」
劇的に変わったわけではないが、確かに、意識を変えるための下準備は出来ていた。
迎えた春の大会。ブロック予選の初戦を危なげなく勝ち抜いた。この勝利が大きかったと小林主将は振り返った。
「それまでチームは沈んでいたけど、1つ勝って、過信じゃなくて自信が出来たので、前向きなプレーが出来るようになった。ミスしてもその次のプレーが出来るようになった。自分から崩れることは無くなったんです」
その後も苦労をしながら、1戦1戦経験を積みながら戦っていった。行動、プレーに意味を求め、考える力を身に付けていた鷲宮ナインには即効性のある糧となった。試合を重ねるごとに、自分たちでも驚くほどに成長をしていった。
▲結束の固い三年生たち
昨年のようなマイナス思考には陥らなかった。怪物は、現れなかった。
[page_break:チーム力の正体]
チーム力の正体
[pc]
[/pc]
春季大会を終えたあと、小林は笑顔をみせた。
「正直、ここまで勝てたのは自分たちでもビックリ。でも、関東大会に行くっていうのは3年生を送る会の時に先輩に向けて言っていたので、目標にはしていました(笑)」
またひとつ責任を果たし、強くなった。
▲部室の至る所に格言が貼られている
責任感と言えばね、と柿原監督が嬉しそうに切り出した。
「ウチの野球部を卒業した生徒で、消防士になる生徒がけっこう多いんですよ。人のために、とかそういう考えをもってくれるみたいでね」
自分の考えで責任ある職業を選び、夢を叶える教え子たちに思わず顔をほころばせていた。
鷲宮のチーム力を高めたのは、個々の考える力。自分で考えるからこそ、その先の決断、行動に責任感が生まれる。その責任感を持っているから、自分の行動を見つめ直し、その上で周りに目を配ることも、声をかけることも出来る。
そこでの成功体験で充実感が得られ、前を向けるようになる。結果、視野が広がる。視野が広がれば、また、考えるべきことが生まれ、またそれを解決し、責任感と充実感を高めていく。
春の大会は、この一連の流れが一気に花開いた証だった。考える力を身に付けていた選手たちに必要なのは、ほんの少しの成功体験とそれによる自信だけだった。
1つ勝てた、という自信が、自分たちのやってきたことは間違いじゃない、と気付かせ、能力を引き出していったのだ。
高校野球は通過点。でも、どう通過するのか?
そこに重きを置き、研鑽(けんさん)を重ねる鷲宮高校。独特といわれる所以と、強さの秘密がわかったような気がした。
(文=青木有実子)