済美vs県立岐阜商
試合中の一つのプレー・瞬間のジャッジで大きく結果が変わってくるのが野球である。
今大会、松倉雄太が試合を決定づける「勝負の瞬間」を検証する。
決断
6回を終わって3対2。リードしていた県立岐阜商の藤田明宏監督は、勝負の瞬間(とき)を迫られていた。
「限界のサインが出ていた。その前の6回にも苦しそうな感じで、やむを得ずですね。その前に連続三振を奪ったのは、気力だけだったと思います」。
指揮官が限界だと感じたのは、エースであり長男でもある藤田凌司(3年)。2日前の3回戦(大阪桐蔭戦)で右脛に死球を受けて全治2、3日と診断されていた。指揮官は、「行けるなら最後まで」と思っていたそうだが、実際には7回くらいまで持てば十分という状態でもあった。
逆に後半勝負に持ち込みたい考えの済美陣営は前半から藤田凌司攻略への布石を打っている。それが、バントをした際にピッチャーである藤田凌司をできるだけ走らせて球を処理させること。
済美の太田裕也主将(3年)が話す。
「昨日のミーティングで、(上甲正典監督から)足の状態が悪いだろうからセーフティバントなどでピッチャーに取らせるように揺さぶれと指示が出ていました」。
この布石が済美にとっての勝負の瞬間。逆に県立岐阜商サイドも十分に織り込み済みではあった。三塁方向へのバントなどをにはできるだけサードの東泰斗主将(3年)がカバーしてエースを助けていた。
それでも連投の疲労などもあいまって、少しずつ、少しずつ藤田凌司の苦しみは増していった。指揮官がエースの状況を思い浮かべる。
「ゲームの中でランナーに出たり、バント処理など色んな部分でダメージはあったと思います」。
キャッチャーで自身も右手首を負傷していた神山琢郎(3年)も話す。
「凌司が走ることによって疲れがでる。思い通りの位置に転がしてセーフということがあったように、相手にとっては良い作戦だったのかなと思います」。
足にケガを抱えるエースを他の守備位置に就かせることはできない。交代を決断するということはベンチに下げることも意味していた。
この時点で残り3イニングで1点差。延長になる可能性もあったが、指揮官は葛谷拓巳(2年)、後藤征人(3年)、東山侑矢(3年)の3投手で1イニングずつ任せることを考えた。
マウンドを降りたエースが、これからマウンドへ向かう投手陣に声をかける。だが、「他のピッチャーが弱気になっていたのがわかった。腕がいつもの練習試合のように振れていませんでした」と球を受ける神山は感じる。
逆に相手エースが降りたのを知った済美サイドの思いを太田主将が話す。
「藤田(凌司)くんに苦しんでいたので、継投に入ってくれたことでチャンスだと思いました。右ピッチャーに代わり、ヨッシャ代わったという気持ちでした」。
7回のマウンドに立った2人目の葛谷は何とか踏ん張ったが、8回に3人目の後藤征が済美打線に捕まった。プランを変えて東山や、ライトの林知則(3年)までつぎ込む必死の継投をするが、気がつけば試合がひっくりかえされただけでなく、3点差がついていた。
それでも9回表に代打を含めて下位打線でチャンスを作るなど、最後まであきらめない姿勢を見せた県立岐阜商。敗れはしたが、夏の日本一へ向けての貴重な財産となるゲームでもあった。
「凌司は本当に良く投げてくれたと思います。でも凌司だけでは今後は戦っていけない。ウチは野手兼ピッチャーが多いので、そういう意味では大きな経験ができて頼もしく思いました。この悔しい思いを糧にしてピッチャー陣には切磋琢磨してほしい」と神山は話してくれた。
指揮官も課題を痛感している。
「普通(の試合)だったら凌司は先発させられない状態ではあった。そういう中でもしっかりとゲームを作ってくれたことは褒めてやりたい。他の投手をもっと作っていかないといけない」。
勝負のために相手エースを疲労させる布石を打った済美と、勝負のためにエースを降板させる決断をした県立岐阜商。軍配は済美に上がったが、勝負は時の運でもある。
最後にエース・藤田凌司は言った。
「どんな状況でも投げるのがエース。ケガを言い訳にする自分が情けないと思います。夏にはしっかりと投げられるように練習したい」。
この日のゲームは終わったが、“本当の勝負”はこれからである。
(文=松倉雄太)