北照vs鳴門
タイ・ブレーク10回裏鳴門・2死満塁から5番・大和平(2年)が2点適時打、島田寿希斗が同点のホームへ
両者収穫あり。有意義な神宮の杜での体験
2011年高校野球カレンダーのフィナーレを飾る「明治神宮野球大会・高校の部」。1973年(昭和48年)の第4回大会でのスタート当初は記念試合的要素が強かった高校の部だが、2000年(平成12年)の第31回大会から地区優勝チームが全て集う大会となったこと。
さらに第33回から優勝チームの所属地区にセンバツ大会の出場枠が付与(神宮枠)されたことでその地位は格段に向上。今では「秋の高校野球日本一」を決する大会として自他共に認知を受ける大会となっている。
そのような歴史を重ね38回目を数えた今年、新たな制度が導入された。それは全日本大学野球選手権や都市対抗野球大会と同様の「決勝戦を除くタイ・ブレーク」だ。
徳島県高校総体協賛ブロック大会など、これまで県内完結レベルの大会では導入実績がある同制度であるが、高校全国大会での導入は初。確かに延長戦に入ると1死満塁から攻め合う姿はなんとも違和感を禁じえない部分はある。とはいえ、国際的時流、さらに言えば早期五輪復帰の道筋を作るため、試合時間短縮が急務となっている野球競技の現実を鑑みれば、これも致し方ない事なのかも知れない。
では、高校球児はこの「タイ・ブレーク」にいかに対応すればいいのか。ここでポイントになってくるのは、「これが高校野球生活最後ではない」という、この大会の立ち位置である。
勝敗はもちろん大事な要素であるが、それが全てにはならない。ましてや地区優勝校が集う明治神宮大会は、来年春、再び甲子園であいまみえる仲間が集う場である。となれば、延長戦で要求されるのはそれまでの9回と同じくポジティブな姿勢。「タイ・ブレークのような緊張感がある場面を含め経験を次に活かすようにすることが大事」と話した鳴門・森脇稔監督のコメントが答えの全てであろう。
そんな視点からこの一戦を分析していくと、両者にとって神宮の杜での1時間59分は有意義な体験になったに違いない。まず、延長11回に5番・高山大輔(1年)の内野ゴロと6番・和田紘汰(2年)の内野安打であげた2点で準決勝進出を果たした北照(北海道地区代表)の側から見れは、全道大会では2番手格ながら先発を任された三浦翔(2年)が7回を投げ3安打1失点と好投を披露したことが一番の収穫であろう。
8回表北照1番・佐藤星七(1年)の同点犠飛に沸くベンチ
狙いを絞らせない和田のリードに導かれ、徳島県大会・四国大会を通じ4割のチーム打率を残してきた鳴門打線に臆することなく、低めのストレートとスライダーを駆使した三浦。その姿に「以前は真ん中真ん中にボールが来ていたが、それも解消されてきた」と河上敦也監督も満足げな表情を浮かべていた。
この三浦の台頭により、10回2死から一度は5番・大和平(2年)に2点適時打を浴びて一度は同点に追い付かれたものの、サウスポーの特性を活かしけん制死も奪うなどエースの貫禄を示した大串和弥(1年)との2本柱が完成したことは、彼らにとって全国大会1勝以上の前進になったのではないだろうか。
敗れた鳴門にも収穫は数多くあった。丸宮太雅(2年)の右ひじ手術により四国大会決勝戦に続くマスクを被った日下大輝(1年)は、7回裏にレフト線を破る先制二塁打。さらに「内角を使ってゴロを打たすことをやり遂げようと思った」本業のリードでも、先発右腕・後藤田崇作(2年)の制球力を最大限引き出し6回までノーヒット。9回を終えても8回表に1死1・3塁から1番・佐藤七星(2年・主将)に喫したセンター犠牲フライの1点のみに抑えるという、指揮官も「よくやってくれた」と称える結果を生み出した。
もちろん常時130キロ前半のストレートと要所でカーブを使った後藤田のピッチングも高評価を与えられる。本人は試合後、決勝点となった11回ばかりでなく、100球を超えた直後の10回タイ・ブレーク開始直後に佐藤から浴びた2点タイムリーを悔やみ「もっとスタミナをつけないと」と語ったが、11回130球の全国経験は必ず甲子園での肥やしになるはずだ。
一方、共に強打を売りにしてきた両校打線は北照6安打、鳴門5安打。「精神的な安定がなく、強い気持ちでバットが振れなかった」(鳴門・森脇監督)課題が明確に見えた。
しかし、それも明治神宮大会がなければわからなかったこと。あと4ヶ月後に踏みしめる甲子園で、彼らが神宮の杜で得た有意義な体験を成長という言葉に転化できるか。今はその日を楽しみに待ちたい。
(文=寺下友徳)