県立北村山高等学校(山形) 1/4
山形県立北村山高等学校 第1回(全4回)2011年01月09日
雪とスイカと花笠のまち
一面雪に覆われたグラウンド
「グラウンド、こっちです」
学校の駐車場で待っていてくださった石井貴之監督は、駐車場のすぐ隣にあるグラウンドを案内してくれた。
広い!そして、真っ白!
一面に広がる雪景色。
山形県立北村山高校は、山形県の北東部に位置する人口約2万人の尾花沢市にある市内唯一の高校だ。
87年に大石田高と尾花沢高の統合により、普通科と情報処理科を置いて開校した。
07年には総合学科として新たなスタートを切り、09年には普通科と情報ビジネス科が閉科。
現在は総合学科の学校として約450名が学んでいる。
尾花沢は日本有数の豪雪地帯で、積雪2メートルなんて当たり前。
だが、その雪でもたらされる豊富な水と寒暖の差が激しい尾花沢盆地の気候でスイカの生産量は日本一だ。
それに、そばもおいしい。隣の大石田町もそばが有名で、どちらにも「そば街道」がある。
市内中心部から約16キロのところにはNHK連続テレビ小説「おしん」の舞台にもなった銀山温泉があり、8月には、菅笠(すげがさ)に赤い花の飾りを付けた「花笠」を持って「花笠音頭」に合わせて街を練り歩く「花笠まつり」が行われる。
そんな自然と文化に富んだ街にある北村山。
今年は春、夏、秋の全てで県ベスト8入りを果たした。
部員はいずれも20人を割った状態ながら、創意工夫の練習で上位に食い込んだこと、豪雪地帯という環境的不利な状況やその冬季間に除雪作業のボランティアに励んでいることなどから21世紀枠の山形県候補として推薦されたチームだ。
2010年の軌跡
「スイカ打線」と話題を呼んだ打線
春の最北地区大会は17人で初めて制した。
1回戦で新庄東を11対4で下すと、東根工には10対3の8回コールド勝ち。
そして、新庄北には13対3の5回コールドで勝利し、最北地区第1代表として県大会に進んだ。
県大会では準々決勝でセンバツに21世紀枠で出場した山形中央に2対8で敗れたが、初のベスト8入りを果たした。
最北地区大会から県大会初戦の2回戦・新庄南に9対2の7回コールド勝ちを収めるまでの計4試合で2桁安打を記録。
その勢いのある打線は名産のスイカにちなみ、「スイカ打線」と呼ばれて話題を呼んだ。
14人で挑んだ夏は初戦2回戦の新庄東に1対0で勝利。エース・加賀学(2年)が、2回裏に堀江雅樹前主将(3年)が挙げた1点を、被安打2で守りきった。
3回戦の長井戦は11安打を放ち、8対2で準々決勝に駒を進めた。
2日後に行われた準々決勝は春の村山地区大会で山形中央を下している山形南。
2年生の138キロ左腕・小倉優平は県内でも注目の好投手。2回、二死一、三塁の好機で堀江雅がライト前に適時打を放ち、先制点を奪った。
しかし、先発・加賀が5、6回につかまり、5失点。1対5で敗戦も、初の夏ベスト8に躍進した。
春と夏に8強入りと北村山の歴史に厚みをもたせた3人の3年生が引退し、新チームがスタートすることになる。
石井監督の指示を聞く選手達
その頃、甲子園で話題になった選手がいた。
八戸工大一の中村晃大(3年)。
彼はスピードスケートと野球の二束のわらじで頑張ってきた選手で、1回戦の英明戦(香川)(2010年8月07日)では決勝三塁打を放ち、チームに甲子園初勝利を呼び込んだ。
北村山の新チームの部員は10人そこそこ。
「選手交代できないんですよ。選手を交代して9人になり、一人怪我をすると没収試合になってしまうので」そんな危機を感じていた石井監督は、中村の活躍を見て「うちには全国区のスキー部がある」とひらめいた。
万が一を考え、ベンチに入ってもらうだけでも違う。
石井監督はスキー部の杉沼智監督に助っ人を要請。
快諾してもらい、スキー部の1年生6人が高校球児顔負けの丸刈り頭でユニホームに袖を通した。
だからといって、スキー部の選手が野球をするわけではない。試合中はレギュラー選手へのグラブ渡しやバット引きでチームをサポート。
イニング間でランナーコーチャーが間に合わない場合は、始めにスキー部所属の選手が立つこともあった。
そうして戦った秋の最北地区大会では、春に続く第一代表での県大会出場を決めた。
これは08年に部員13人で勝ち取って以来、二度目。
県大会の初戦は山本学園だった。
初回に2点を先制するも、5回に同点に追いつかれた。それでも、「後半勝負」と踏んでいた石井監督。その通り、7回、二死から4番・加賀、5番・星川泰平の連打でチャンスを作ると、6番・八代啓夢がセンターオーバーの2点三塁打を放ち逆転。8回にも3点を加え、9回には暴投でダメ押しの1点を得て勝利した。
21世紀枠の山形県候補に選出
しかし、東北地区の代表は秋田の大館鳳鳴に決定。
センバツが絶望となった今、夏の甲子園を目指し、2年生10人が一生懸命に練習に取り組んでいる。
スキー部はインターハイ出場を決めた。
「スキー部の保護者の方も、試合にたくさん応援に来てくれたので、うちの野球部の保護者も、岩手のインターハイにみんなで応援に行こうって言っているんです」と石井監督。
スキー部のインターハイは2月、「雪原に馳せる情熱 イーハトーヴの華となれ」をスローガンに開催される。
21世紀枠の山形県候補に推薦されて
石井監督
話しをしながら取り組んできました。(選手も)甲子園というものを意識して取り組んでくれたし、私も肩、肘張らないで取り組むことができてきたというのもあると思います。人数は少ないながらも、先輩たちも一生懸命やってきた。その、かつてここで頑張ってきた先輩たちの、頑張った部分がようやく出てきてくれているんじゃないかなと」
21世紀枠は、現役部員だけの頑張りだけが評価されるものではない。
それまでの伝統と取り組みがあってのことだ。
北村山の部員数は毎年、他校に比べると多いとはいえない。
学校の大幅定員割れが直結して野球部員の減少になっているわけではないという。
「人数が少ない理由は、一生懸命やっちゃったからですよ。結果を伴うようなチームになっちゃったので、『僕には無理です』って。私が来たときは3学年で40人くらいいたんですね。でも、赤点取っちゃいけない、授業や普段の生活態度もしっかりしないといけない、挨拶もするとかそういうのに耐えられないんですよね。あとは田舎ですから、評判が悪いんです。『あそこは厳しいぞ』って。それで、野球を本気でやろうとする子は電車で30分くらいの山形に行っちゃう。線路破壊してやろうかな、と思ったこともありますけど(笑)だから、ここに残ってモチベーション高くっていうのはすごく難しい」
その難しいという環境の中での、石井監督の創意工夫が実に面白い。
(文=高橋 昌江)
(第二回は1月16日更新予定)