柿木 蓮(大阪桐蔭)センバツ連覇へ誓う「バッケンレコード」【前編】
3月23日に開幕する「第90回記念選抜高等学校大会」。出場36校中、ただ1校権利を持つ「センバツ連覇」を目指して戦うのが大阪桐蔭である。昨年の主力選手の多くは今年も健在。ドラフト候補としてもNPBのスカウトから熱い視線を注がれている。そこで高校野球ドットコムはその注目選手たちを独占徹底紹介。第4回で取り上げるのは最速148キロのストレートと切れのあるスライダー、フォークを武器に近畿大会優勝に貢献した柿木 蓮投手である。
センバツ連覇へ向けて柿木が目指す投球スタイルとはどのようなものなのか?これまでの歩みを振り返りつつ、本人に意気込みを聴いた。
全て前向きに取り組み、晴れ舞台での初登板へ
練習に取り組む柿木蓮選手(大阪桐蔭)
―― 佐賀東松ボーイズ時代(多久市立中央中)は4度の全国大会出場。最速143キロをマークする速球投手として知られていた柿木投手ですが、いつから速球を投げることには自信がありましたか?
柿木 蓮投手(以下、柿木) 僕は多久市立北部小6年生から投手を始めたんですが、その時はむしろコントロールに自信がある投手でした。
でも他の人よりも体は大きかったので、速いボールも投げられたんだと思います。ちなみに中学1年生の時は120キロ台でした。
―― では中学時代はどんなトレーニングをされていましたか?
柿木 もちろん体が大きくなったというのもあるんですけど、僕の中ではチームで心肺機能強化を中心に取り組んだ「サーキットトレーニング」を繰り返し行ってきたのが大きかったと考えています。
―― 佐賀県から大阪桐蔭に進んだ理由は?
柿木 自分が高校進学を決める上での基準は「自分を高められる」学校だったんです。最初から投げられる学校ではなく、一からスタートして、競争できるようなレベルが高い学校でプレーしたいと思っていました。
その点で大阪桐蔭はまさに「自分を高められる学校」と思い入学を決意しました。
―― 実際に大阪桐蔭に進み、高校野球に触れてまず感じたことはありますか?
柿木 投手の部分だけでもストレートのスピードはもちろんですが、変化球のキレ、コントロールのレベルが段違いに違いました。自分はストレートには自信がありましたが、それ以外の部分でほかの先輩たちと比べても大きく劣っていたんです。本当にレベルの高さを感じました。
―― そこで、まず柿木投手が取り組んだことはなんでしょう?
柿木 大きな声を出して目立つことです。ピッチングはもちろんやりましたが、それよりも、競争が激しいチームでありますので、まず覚えてもらうために、日々の練習から大きな声を出して取り組みました。
―― ではピッチングではどんなことを課題にしましたか?
柿木 いつも監督室の前に掲げられている投手のスキルアップ表をファイルにしまっては、それを見ながら取り組んでいました。
やはりピッチングのレベルアップするには実戦の機会で投げるのは一番なので、1年秋の時は野球ノートに、「次のシートで投げさせてください!」と書いたりしてアピールしました。僕は1年秋のころはまだベンチ入りができなかったので、日々のシート打撃登板は公式戦のつもりで準備をして、そして真剣勝負のつもりで投げていました。
―― その努力が実って2年春のセンバツでは初のベンチ入り。そして初戦の宇部鴻城戦が高校公式戦初登板となりました。晴れ舞台のマウンドに登った時の心境は?
柿木 僕自身、人生初の甲子園でしたので、実際にマウンドに立ってみて、他の球場よりも大きく、広く見えましたし、逆にマウンドからキャッチャーミットまでの近さを感じました。実際に投げてみても非常に投げやすかったです。
あの時は投げたくて仕方がなかったので、緊張というより「楽しかった」という気持ちが一番でした。
嬉しさと怖さを味わった「甲子園」
ピッチィング練習に励む柿木蓮選手(大阪桐蔭)
―― 甲子園が終わると、春の府大会でも起用されるように。
柿木 練習試合を投げさせてもらうことが多かったのですが、やっぱり公式戦で投げることが一番勉強になりました。
公式戦では間合いの取り方や、セットポジションでも安定したピッチングができることを心掛けました。春の公式戦での経験は、間違いなく夏の公式戦につながったと思います。
―― 夏の大阪大会。4回戦の同志社香里
戦では8者連続三振を奪うなど、力強いピッチングを見せます。
柿木 あの時は調子が良かったです。いつも自分は試合の入りが良くないのが課題なのですが、うまく初回は抑えることができて、そこから乗って行けたかなと思います。
抑えたり、打たれる試合もありましたけど、いろいろと勉強になった大阪大会でした。
―― 甲子園2度目のマウンドに登った感想を教えてください。
柿木 2度目の甲子園登板ではすごい緊張しました。これは西谷先生がずっと話されていたことなんですけど、「春の甲子園と夏の甲子園は全然違う」と。実際に投げてみて、それは強く実感しました。
加えて相手打者からも「負けて終わりたくない」という気迫や執念を強く感じましたが、球速も最速147キロが出ましたし、調子自体はよかったです
―― 3回戦の仙台育英戦で先発登板しました。結果的には逆転サヨナラ負けで終わったのですが、この時はどんな心境で投げていましたか?
柿木 先発を告げられて、緊張するかなと思ったんですけど、案外、緊張することなく、すんなりと試合に入ることができました。
自分が絶対に抑えて、リードをして、徳山 壮磨さんにつなごうと考えながら投げていました。
―― 試合は1対0で9回裏まできました。
柿木 1点差でしたし、徳山さんも肩作っていたのは解っていましたが、9回裏のマウンドに立った時は「完封したい」という気持ちでした。
ただ、そこで勝負を焦ってしまったんです。逆転サヨナラ打の場面を1球目にボール球を投げてしまって、そこから置きに行ったストレートを打たれしまった。
今振り返ると、大阪大会準々決勝の興国戦でも、1回表に無死満塁のピンチを招いて、フルカウントから4番の中野 翔哉さんに置きに行ったストレートを打たれたんです。その経験を活かすこともできなかった。自分のダメなところが出た試合でした。
後編ではエースとしての自覚と選抜への意気込みを語ってもらいました。お楽しみ!