関東第一高等学校(東京)
選抜ベスト4へ繋がる自信
春の選抜大会で準決勝に進出した関東一は戦前、高い評価を得ていなかった。2年生エース、中村祐太が素質豊かな選手だと知っていても、その愚直なまでのストレート主体のピッチングが全国の強豪にあれほど通用するとは、ほとんどの人は思わなかった。しかし、中村は「自信がありました」と言い放った。
「(昨年秋の)東京大会も真っすぐだけで抑えることができました。三振は帝京戦の6個以外は、12個とか13個取っていたんです」
東京大会で通用したピッチングが全国で通用しないわけがないといわんばかりの口ぶりである。中村が「自信があった」という選抜大会を振り返ってみよう。
1回戦 関東一1-0別府青山(9回、2安打、13三振、完封)
2回戦 関東一2-1智弁学園(9回、8安打、6三振、1失点)
準々決勝 関東一4-2横浜(9回、5安打、1三振、2失点)
準決勝 関東一1-6光星学院(3回、4安打、4三振、3失点※リリーフ登板)
センバツで活躍をみせた中村投手
中村に選抜を振り返ってもらうと「モチベーションが高かった」と言う。
「甲子園という舞台にずっと憧れていたんで。その舞台に立てたっていう興奮状態で、それが多分力になって、いい結果につながったんだと思います」
中村は以前、甲子園に1回だけ来たことがある。興南が春・夏連覇した2010年春、中学3年だったときに準決勝の日大三対広陵戦を見て、広い球場だと思った。そして、投げているときは狭く感じ、打者との距離は遠く感じたと、不思議な感覚を味わっている。
一番好きな球場は[stadium]神宮[/stadium]?と意地悪く聞くと、[stadium]甲子園[/stadium]です、と即答が返ってきた。投げやすいし雰囲気がいいという。準決勝まで進まないと、こういう感覚は生まれてこないのかもしれない。
夏までに取り組むことは「スライダー、カット、カーブ、チェンジアップ、タテスラは投げられます」と言ったあと、「でも基本になるのは真っすぐ。そこに変化球を見せ球として使えればもっと楽なピッチングができると思います」と締めくくってくれた。
米澤貴光監督は選抜で見せた中村のストレート主体のピッチングを「あれしかなかった」と冷静に見る。「変化球はひと通り投げられるよう準備はしていたんですけど、とても通用するようなボールじゃなかった」と言う。
重要さを知った国語力
2000年8月から関東一に就任した米澤貴光監督
この冷静な指揮官、米澤貴光が監督に就任して以降、関東一高の甲子園での戦績がいい。
08年春 選抜1回戦敗退→0勝1敗
08年夏 選手権3回戦敗退→2勝1敗
10年夏 選手権準々決勝敗退→3勝1敗
12年春 選抜準決勝敗退→3勝1敗
甲子園通算8勝4敗、勝率.667という成績は37歳という若さを考えれば、これからどこまで伸びていくのか非常に楽しみだ。
米澤監督は関東一の選手時代、2人の監督から指導を受けている。92年秋までは早稲田実→早稲田大でスラッガーとして名を馳せた小山寛陽氏、それ以降の約半年が現在の日大三監督、小倉全由氏である。
「小山監督は一言で言えば厳しさですね。やるのは選手だからというのがモットーですから、アドバイスは少なかったです。自分で考えろというタイプの指揮官で、1回のチャンスをモノにしろという教えです。小倉監督は気持ちを前面に出す野球で厳しさはありますが、2、3回チャンスをくれる指揮官です」
2人の監督の教えを受けたのち、東都大学リーグの中央大に進み、さらに社会人のシダックスを経て、00年8月、母校・関東一の監督に就任している。
米澤には忘れられない言葉がある。夏の大会で打てなかったとき、小倉氏から「いつも打ってるんだからもう出るよ」と言われた言葉である。教えそのものより、国語力の重要さを知った瞬間だった。それが現在の米澤イズムを作る礎となっている。
「バッターが打席に入る前の一言とか、場面に合った言葉の重要さですね。そういうのを教えられました」
今年の1月22日、プロ野球の指導者も交えた指導者講習会が行われた際、小倉氏は「野球のチーム運営を考える」というテーマのパネルディスカッションにパネリストとして参加し、「野球を嫌いにならない子ども作り」「達成感を味あわせるため日本一の素振りの量をめざす」と語っている。こういう考え方は当然、米澤貴光監督の血肉にもなっている。
米澤は「失敗は種まき」と言った。単なるレトリックではない。選抜後に行われた関東大会準決勝、作新学院戦で種まきはしっかりと実践されていた。
2回裏、センター前ヒットで出塁した安西航洋が二盗失敗、3回裏にはやはりレフト前ヒットで出塁した木内準祥が二盗に失敗している。これが消極的な采配につながれば失敗はただの失敗で種まきにはならないが、9回裏のサヨナラ劇につながっているところに、現在の関東一の強さの秘密がある。
9回裏、途中出場の岸がバント安打で出塁するとすかさず二盗し、1番磯部優太がバントで続き、一、三塁の場面でやはり二盗して二、三塁の局面を作る。序盤の二盗失敗は関東一の足に重りをつけなかったということである。
このチャンスに途中出場の吉江将一がピッチャー強襲ヒットを放ち、絵に描いたようなサヨナラ劇が完成した。
「うちは盗塁を絡めないと勝てませんから」と米澤は言ったあと、失敗は種まき」と続けた。
いざ!夏の頂へ‼
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キャプテンの木内は選抜大会を振り返って、「自分たちはピッチャーを中心に守り勝ってきたチームなので、それを甲子園でもやれたというのが大きいと思います」と言った。「選抜では盗塁の失敗があったんだけどそれについてはどう思う」と聞くと、「マイナスではない」とはっきり言った。
「失敗しても、それはチャンスを作ろうとしている姿勢なので、そこはプラスにとらえています」
まさに、この親ありてこの子あり、である。目標を聞くと当然、「全国制覇」という言葉が返ってきた。ライバルは帝京とともに、選抜で敗れた光星学院、昨年秋の明治神宮大会で敗れた愛工大名電の名前が出てきた。選抜4強進出校の矜持がこのときわずかだが、垣間見えた。
米澤監督は帝京、二松学舎大付の名前を有力チームとして挙げ、チームの課題を「夏の大会は7試合あるので、ピッチャーを1人多くしないと」と言う。その言葉の先には「東東京は勝ち抜けない」が続くはずである。
(文=小関順二)