手束仁の 都立片倉高校野球部岐阜県遠征同行日記 ~第三日目~
丁寧にグラウンドを整備する県岐商の部員たち
8月4日(日)
この日は、県岐阜商と三重県の近大高専も混じっての変則ダブルという日程になっている。片倉は、1、2試合目を戦い、そのまま帰郷するというスケジュールだ。3試合組まれているということで、球場には8時集合となっている。
それに従って食事スケジュールなどが決まっていくので、6時30分に朝食、7時15分出発ということになった。場所は、旧昭和コンクリート球場で現在は[stadium]三甲スタジアム[/stadium]と呼ばれているところだ。昭和コンクリートは、90年代から2000年代にかけては東海地区の社会人野球の強豪チームの一つとして活躍。県岐商出身者が多いことでも知られていたが、その時代に都市対抗にも6度出場している。時代の流れの中で、チームを手放さざるを得ない形になって、グラウンドだけが残った。
いろいろな縁もあって、昭和コンクリート時代には、県岐商が比較的優遇されながら使用してきたグラウンドでもある。一昨年に軟式チームを保有している株式会社サンコーが買い取り、現在に至っているという。
県岐阜商 200 000 010=3
片倉 001 000 001=2
近大高専 000 010 073=11
片倉 000 000 200=2
片倉の宮本監督としては、この遠征の最大の目標として、この日の県岐商との試合を掲げていた。そして、選手たちにも、しきりにそのことを伝えていた。
真中が県岐商・藤田明宏監督
「県岐商との試合は、長島で行こうと思っていましたし、本人にも伝えてありましたから、その気になっていたんじゃないでしょうか」という長島君は、多少意識したのか、立ち上がりはいくらか力んでいた印象だった。先頭の村居君は三振に切って取ったが、続く佐竹君に中前打されると盗塁で二塁へ。打たれまいと意識して上野君には四球、堀内君の投ゴロを焦って二塁悪送球で満塁。ここで、5番加藤君に右前打を許して2点を失った。ただ、ここから大きく崩れていくのではないかという場面を併殺で切り抜け2失点で終えられた。緊張感のある試合の立ち上がりということでいえば、練習試合とはいえ、その大事さを改めて学ぶことが出来た試合だったのではないだろうか。
2回も失策の走者を出し、四球などで満塁のピンチを迎えたがその後を抑え、3回以降は目指す投球がほぼできるようになっていた。8回に、6番池田君のバント安打から1点を失い、試合の流れからすれば大きな失点ということになったが、3回以降の投球内容は長島君としては納得のいくもののようだった。片倉打線は、県岐商の葛谷君に対して、3回は1番佐々木康君の中前打で1点を返したが、その後は打ちきれず、6回からリリーフした山川君に対しても手こずっていた。しかし9回、押切君と途中から5番に入っていた佐々木玲君の安打などで1点差としなおも一死一二塁、二死二三塁と一打逆転まで追い込んだものの、あと一本が出なかった。
一緒に観戦していた県岐商の野球部OBクラブ委員長の坂口清貴氏も、「なかなか緊張感のある、いい試合を見られました」と、満足していた。県岐商の藤田明宏監督は、「夏からはメンバーもすっかり入れ替ってしまっていますから、まだ手探りの状態なんですよ。どんな試合になるのか、心配でもあります」などと言っていたが、さすがに県岐商。チームとしては、ソツなくきちんとまとまっているという印象だった。
一緒に観戦していた県岐商の野球部OBクラブ委員長の坂口清貴氏も、「なかなか緊張感のある、いい試合を見られました」と、満足していた。
県岐商の藤田明宏監督は、「夏からはメンバーもすっかり入れ替ってしまっていますから、まだ手探りの状態なんですよ。どんな試合になるのか、心配でもあります」などと言っていたが、さすがに県岐商。チームとしては、ソツなくきちんとまとまっているという印象だった。
近大高専との試合には、片倉は速球派の矢ケ崎君が先発した。5回に、死球絡みでピンチを作り、1番牧野君の右前打で先制点を許すが、7回に相手失策や暴投からチャンスを得て、矢ケ崎君自らのタイムリー打で逆転。片倉としては、逆転勝利でいい形で遠征最終試合を締めることが出来そうな雰囲気だった。
ところが8回、1死から突如矢ケ崎君が崩れて、7失点。安打されて四死球という課題としていた、もっともよくないパターンが出てしまった。その直前に、捕手の高橋城君がワンバウンドをのどに当てて退場となったことも効いていたのかもしれない。
急遽リリーフした馬場君も、気持ちの準備がやや不足していたのか、抑えきれなかった。こうして、最後の2イニングは大量失点という形になってしまった。「あの2回はなかったことにしたいね」と、宮本監督も苦笑だった。
それでも、近大高専の高原広秀監督は、「(矢ケ崎君は)いやー、球も速いし、いい投手でしたね。ラッキーで、あんな形にはなりましたけれども、あのままやられるかと思っていました」と、矢ケ崎君を称えていた。
片倉の一行は、試合を終えると挨拶をしてそのままバスに乗り込んで一路、八王子の学校へ向かっていくことになった。15時出発である。
途中2度、サービスエリアで休憩をはさみながら、約6時間半をかけて戻った。すっかり暗くなっていた学校では、遠征に同行出来なかった父母たちが迎えに来ていた。
早朝の送り出しと夜の迎え。今の高校野球は、こうした親の援護、サポートがないとやっていけないのだなということも、また、改めて実感した遠征でもあった。
(文・写真=手束仁)