なぜセンバツ準V・高松商は敗れたのか?
「もう一度甲子園で、高松商を見たかった」。この夏、香川県・四国内外を問わずこのような声を様々な場所で聞く。それほどまでにセンバツ準優勝を果たした高松商(香川)のインパクトは絶大だった。しかし実際には彼らは再び[stadium]甲子園[/stadium]に帰ることはできず。では、高松商はなぜ敗れたのか?今回は決勝戦で5対1で勝利し、9年ぶり11度目の夏の甲子園出場を決めた尽誠学園の「戦術」と同時に、その要因を分析したい。
高松商、相次ぐけが人・不調で「ベストメンバー」組めず
植田 響介(高松商)
まず、もしお時間が許すならば「手負いの高松商、春夏連続甲子園へ黄色信号 県内高校野球ブームの中、大混戦の夏来る」と称した香川大会抽選会後展望・前編を再度お読み頂きたい。そこにはエース・浦 大輝(3年)と3番・米麦 圭造(3年主将・遊撃手)の不調が記されている。が、今だから明かせるが当時の内実はさらに深刻な状況にあった。
初優勝を果たした昨秋神宮大会準決勝・大阪桐蔭(大阪)での好投が印象深い多田 宗太郎(3年)はセンバツを前に乱れた制球が改善せず(詳細は現在発売中の「野球ノートに書いた甲子園4」に記述されています)、香川大会ではベンチ外。浦は腰の疲労骨折が回復しきれず1イニングの登板がやっと。
さらに二塁手兼任の美濃 晃成も練習試合最終戦の死球で足を骨折。必死の治療でなんとか打席と守備はできるまでに回復はしたが、これも登板は1イニング程度のみしかできない状況だった。すなわち、投手陣は大熊 達也(3年)の「実質1本柱」だったのである。
それでも香川大会初戦へ状態を見事に合わせてきた米麦 圭造や、準々決勝・丸亀戦での1試合3発だけでなく、リード面でも著しい成長を見せた植田 響介(3年)をはじめとする圧倒的打力で4試合連続コールド勝ちを飾ってきた高松商。ただ、彼らにとってそれは9回を戦うスタミナに不安を他者に見せないための「ミッション」でもあった。
結果、コールドのない決勝戦では5試合目の先発となった大熊が失った5点を返せず敗戦した高松商。とはいえ、将棋であれば飛車角を抜いた状態で甲子園まであと一歩に迫った彼らの高き責任感は、おおいに讃えられるべきである。
「小豆島戦術」バージョンアップの尽誠学園、甲子園でも成功なるか?
渡邊 悠(尽誠学園)
このように満身創痍だった高松商。ただ、それらを差し引いても準々決勝では小豆島を終盤の集中打で突き放し7対4。決勝戦では犠打を絡めて小刻みに得点を重ねて5対1。センバツ出場2校を撃破した尽誠学園の戦いは見事という他ない。
その中で特記したいのが、エース左腕・渡邊 悠(3年主将・左投左打・181センチ82キロ・三木町立三木中出身)、松原 圭亮(3年・捕手・右投右打・兵庫北摂リトルシニア<兵庫・在籍当時はボーイズリーグ所属>出身)が高松商相手に仕掛けた「小豆島戦術」だ。
これは小豆島の左腕・長谷川 大矩(3年)、植松 裕貴(3年)バッテリーが高松商相手に用いていた配球である。まずはインコースのストレートで相手打者を起こし、決め球は外角のチェンジアップ系変化球。昨秋県大会決勝戦、今春四国大会出場校決定戦で小豆島が連勝できたのも、この配球で高松商の早打ちを誘ったからであった。
さらに渡邊、松原の尽誠学園バッテリーはこの「小豆島戦術」を模倣しつつ、さらにバージョンをアップさせた。130キロ中盤のストレートを内角に配しながら、夏まで隠し持っていたチェンジアップを決勝戦に合わせて多投。これまで使っていたフォークの残像があった彼らは27アウト中13アウトを内野ゴロで仕留められた。
となれば、甲子園で同様の配球をすれば強打線を再び抑える可能性は十二分にある。栃木大会のチーム打率.432と爆発的破壊力を持つ作新学院相手に、尽誠学園がどのような戦い方を指向するのか?大会6日目第3試合・作新学院を高松商打線の影と合わせてみれば、また新しい高校野球の見方ができるかもしれない。
(文・寺下 友徳)
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